何がわかりやすく表現される 「べき」か ?

 25, 2016 05:07
 知的障がい者にとって必要な情報は何か。
 それは、彼らにとって興味関心がある情報ということになる。
 そうした情報提供が選択できる状況になっていることが理想だ。
 適時・適切な情報提供である。
 その場合、自ら必要な情報を選び、その内容が理解できるようする。
 以下に、現況とあるべきことが述べられている。 



【引用はじめ】

平成17年度「障害のある人と援助者でつくる日本グループホーム学会」 代表者 室 津 滋 樹
5 『わかりやすい表現』(plain text)活動・研究の現状と方向性 (p97~.p.107)
分担研究委員
名川 勝 渡辺勧持 薬師寺明子(美作大学) 杉田穏子 (立教女学院短期大学) 花崎三千子 堀江まゆみ 鈴木義弘
鈴木伸住(Sプ ラン三ング) 岩本真紀子 (全日本手をつなぐ育成会)

3 何がわかりやすく表現される 「べき」か ?

 ところで、どのような素材がわかりやすく書かれると良いのだろうか。

 ひとまず考えられるのは、知的な障害のある人が目を通すべき情報ということになる。
 では 何が目を通すべき内容か。
 彼らの生活に重大なかかわりを持つことというならば、それは障害者福祉制度や生活に関することだろう。
 実際、公的な文書や制度に関する文書をわかりやすく提供しなければならないと定めている国もある。
 また日本でも育成会などが率先して制度や生活にかかわる情報を本人向けに発行している。
 ただ、これは言わずもがなのことなのだが、制度や公的文書を喜んで読みたい人はそう多くない。
 読んでみたい文書を提供し、それで暮らしの彩りを豊かにしたいのであれば、むしろ趣味の本や映画や遊びのスポットのことがわかりやすくリライトされ提供されたほうが良いし、ゴミ箱直行になる可能性も減るだろう。
 しかし実 際にはそんなものが作られていることは少なくて、せいぜい制度の話が書き直されている程度だろう。
 無駄なことはしていない、のではあるが。

 理想を言えば、すべての文書や情報がわかりやすく提供されるべきなのだろう。
 そしてどの文書を読んで、どの本をマクラ代わりに使うかを本人が自由に決められるようになれば良いはずだ。
 私たちの社会だって、出版と思想信条の自由が制限されていたのは昔の話だ。
 しかしそのようにするためには労力も時間もお金も無いと考えられているので (いや本当に不足しているのは、そうすることが当然だという常識というかコンセンサスだろう)、今は最低限必要だと考えられている福祉制度の話や、入手できないことで不利益 ・不公平 ・不公正を被ると考えられる情報が選択され、そしてわかりやすく書き改められているのが現状である。
 少し堅 く言うならば、現在は制度的な情報を保障し人権を尊重するという趣旨で行われているのかもしれないが、わかりやすい情報提供の目的は、文化的な豊かさの担保に(も)ある。

(つづく)

【引用終わり】



 知的障がい者は、著しい情報格差の中で生活している。
 その是正に努めなければならない。
 それには、できるだけわかりやすい情報提供のあり方を一般に普及する必要がある。
 福祉関係の行政、事業所、保護者、当事者等関係団体がその必要性を訴え、自ら実践することである。
 
 (ケー)
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