災後を担う若い力

 08, 2016 05:29
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

東日本大震災は、被災者も被災しない者も大きな影響を与えた。
 日本全体に対する影響である。
 テレビ画面で見る津波の映像は誰にも衝撃的だった。
 福島第一原子力発電所の建屋の爆発は、日本列島全体が恐怖におののいた。
 災害に対する取組はそれ以後大きく変わった。
 被災地を支援しようとする輪が大きく広がるようになった。
 ボランティアとして被災地支援が草の根運動として広がりを見せた。
 若者が率先して参加した。
 日本人の底力を感じる。
 以下、若い力に期待する記述である。



♯地震発生から43日目=災害を担うしようがい者
 April 22, 2011 08:09

 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から43日目(4月22日、金曜日)。 また、大震災発生から43日目の新しい朝を迎えた。

 4月仕事がたて込んできた。何かと忙しく、せわしい。3月に予定していた諸会議がすべて大震災の影響で流れた。
 山形市内まで移動するのにも、ガソリン不足がたたり、それどころでなかったし、会議なんてやっている心理的余裕もなかった。
 どっかに不安があり、ぽっかり空白ができた気分になったのはわたしだけではなかったはずだ。被災地や被災者だけでなく、日本全体にそうした気分がまん延した。
 こうした空気はそうそうあるものでない。ひょっとすると戦争直後の気分と近いのかもしれない。
 そうしたことを指摘する記事があった。次に引用する。
 
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【引用始め】msn.産経ニュース
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110421/dst11042103130003-n1.htm
 特別記者・千野境子 「災後」を担え、若い力
2011.4.21 03:13
 「あの時」は、もはや民族共有の痛恨の経験として、末永く記憶されるに違いない。これに勝る時は昭和20年8月15日くらいかもしれない。そんな予感がする。

 3月11日午後2時46分。あなたは何をしていただろうか。私事を言えば、当欄の翌日組み原稿を校正して間もなくだった。経験したことのない揺れに、「ついに私も関東大震災を経験するのか」と思った。

 実は、その原稿は『関東大震災 女学生の記録』についてだったからである。横浜・山手のフェリス女学院に学ぶ、当時16歳から18歳の女生徒151人が仮校舎での国語の時間につづった震災体験の証言集で、創立150年を記念する校史編纂(へんさん)の一環で刊行されたものだった。

 好奇心も記憶力も旺盛な10代後半の少女たちの経験・目撃談は、体験者も少なくなった88年後の今日、貴重に思えた。10万人からの命を奪った火災の証言は実に生々しい。

 《物の焼け崩れる音、火のうなり声、何て物凄(すご)いのだろう。何日まで何処まで焼けるのであらふ》

 《逃げても逃げても後から火は逐(お)ひかけて来るのでした。…「万事休す」「横浜は全滅だ」など言ふ声が聞こえました》

 そしてもう一つ。にもかかわらず何人もの女生徒がいちはやく復興に目を向け、明日への希望や決意を記していたのが印象的だった。

 《総(すべ)てが灰燼(かいじん)の中から新しい生命をもって一日々々と復興してゆく町を見つめて居(い)るとき、忘れ得ぬ思ひ出はいつも涙をさそひます。そして生まれ出る力を祝福しつゝ頬笑ましい希望への胸は高鳴るのです》

 《多くの生命が此(こ)の世を去って行きました。と同時に多くの生命が生まれて来ました。廃墟(はいきょ)の都から新文化へと人々は努力して居ます》

 《古い一切のものを壊すのは結構だ。新しい美しい物を創造するの事を忘れてはならぬ。…記憶せよ、九月一日を永遠に!》

 目覚ましい回復力。前向きで貪欲な精神。若さの特権かもしれない。こんな正直な感想もあった。

 《稲妻の様に起(おこ)って過ぎた色々の事をけろりとわすれて、世の中に恐ろしい事などないといふやうな気持になった》

 実際、関東大震災後、東京も横浜も「万事休す」ではなかったのである。いまはまだ惨状広がる東日本大震災も同じであってほしい。そしてその復興には、こうした女生徒たちと同じ若い世代を原動力にしてほしいとも思う。なぜなら彼らこそ10年、20年後の日本を担うからだ。

 その意味で現下の復興構想などに若い力の積極的評価が見られないのは、いささか残念だ。肉親を失ったり、仕事や学業の機会を奪われたりして過酷な人生を歩まねばならぬ若者も少なくないだろう。それでもと、あえて言いたい。若さにはそれを克服する力がきっと備わっているだろうと。

 《木の葉の落つるも、先(ま)づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり》(『徒然草』百五十五段から)

 葉は古くなるから落ちるのではない。新しい芽の勢いによって葉は取って代わられるのだという。

 東日本大震災の後、「災後」の表現が散見されたのは示唆的である。もはや「戦後」ではない。まったく新しい「災後」日本を。そしてその主役は若い世代にこそ与えたい。

【引用終わり】

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 この「戦後」が終わり、「災後」の復興は「若い力」が担う。
 私自身若いとは言えないが、4月せわしく動き始めたのは、ぼんやりしていられないし、やるべきことをしっかりやってこそ被災地へのなにがしかのエールとなる。
 まあ、こんな言い方は後付けにしかすぎないが、要は切羽詰まってきた気分にあるということだ。自分自身の担うべき仕事をやり遂げることである。
 第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第31回山形県知的しょうがい者福祉大会(10月15日〜16日)の開催である。その準備が予定よりかなり遅れている。
 特に、本人部会をどうしていくかが頭痛い。昨年度ずっと計画してきた内容から大幅変更して開催することにしたからである。
 本人のための防災会議と称して実施する方向である。
 そして、本人による本人のための防災ハンドブックを作成することももくろんでいる。
 そのため、やまがた社会貢献基金の助成を申請した。
 5月にそのためのプレゼンがひかえている。それを突破しないと、会議そのものの開催も危うい。幸い、山形市手をつなぐ育成会と山形県知的障害者福祉協会から協力してもらう。本人たちが災害の備えをいかにすべきかについて、真剣に話し合う場は今をおいて他にない。
 前進した内容にすれば、きっと「明けない夜はない」となるのである。
 (ケー)




 被災地に共感する人たちが多い。
 今回の熊本地震でも、銀座にある熊本県のアンテナショップには、多くの買い物客が訪れている。
 少しでも被災地を応援しようとする気持ちの表れである。
 これだけでも被災者を勇気づけることになるはずだ。

 (ケー)
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