平時には予想しがたいことが有事には当たり前のように生ずる

 06, 2016 05:31
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 大震災後の復興に向けた取組は、思うようにいかない。
 努力してもその努力が報われない。
 試行錯誤の連続である。
 心折れる状況が続く。
 それでもやり続ける。それが解決の道だから。
 以下、そのへんの事情が記されている。




♯地震発生から41日目=工程表を信じる
 
 April 20, 2011 08:49
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から41日目(4月20日、水曜日)。 また、大震災発生から41日目の新しい朝を迎えた。

 大震災によって、今までの自信や余裕や、今後の計画や予定がずたずたにされた。
 普通の生活がいつまでも続くと思い込んでいた。今となっては遅いがやはり思い込みにすぎなかった。平穏無事でたいした波風の吹かない生活に満足していた。とても心地の良い生活であった。決して、大事になるような事故や災害などの災厄に巻き込まれるはずがないと、日々生活を続けてきた。
 マスコミで報道されるような犯罪・火災なんて自分の日常には起こるはずがないし、まして海外でのクーデターや暴動など日本には無縁と思っていた。
 しかし、身近で1000年に1度の天変地異が起こった。
 2万人もの人が亡くなり、街がいっぺんになくなり、家ごと根こそぎなくなり、仕事もなくなり、放射能汚染といった最悪の事態が起きた。残ったのは無残ながれきの山。
 1カ月以上経っても、解決の道遠しの感がある。
 でも、災害現場では悠長なことを言ってもしょうがない。解決に向けた道筋づくりに苦労している。
 原発事故解決の工程について、毎日jpの余録では次のように述べる。

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【引用始め】

http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/

余録:「工程」の今後

 歩くという単純な行動も水の中では思い通りにならない。戦場での行動を重い液体の中での運動にたとえたのは、先日も小欄で引いたクラウゼビッツの「戦争論」だ。敵情が分からない戦場では思わぬ事態が次々に予定された行動を阻む。
▲あらかじめ考え抜いた必勝の戦術も、不確実性が液体のように満ちた戦場では必ず齟齬(そご)をきたし、もくろみは狂ってしまう。似た状況は戦争だけに限らない。およそ平時には予想できなかった深刻な危機にあって、物事は人間の思い通りに運ばないのが世の常である。
▲目標は遠いが、はっきりしている。そこに至るおおまかな道筋はようやく描かれた。だが、まとわりつく不確実性はその歩みを妨げようとする……福島第1原発事故の収束に向けて示された原子炉安定化の工程表のことだ。
▲東京電力はきのう2号機から出た高濃度の汚染水を貯蔵施設に送る作業を始めた。まずは一歩である。だが、その前日には4号機の建屋地下の水深20センチと見られた汚染水の深さが実は5メートルだったことが判明した。前に踏み出す足にまとわりつく予想外の展開である。
▲原子炉安定までの「6〜9カ月」は避難を強いられている住民には気の遠くなるほど長かろう。だが専門家の多くはむしろ工程表の見通しは甘いともいう。一刻も早い収束は至上命令だが、不測の事態続発も覚悟せねばならぬ人類未踏の原発災害収拾の道のりである。
▲ここはまとわりつく不確実性を封じる周到な情報収集と、思わぬ変事への機敏な対応が求められる現場だ。また社会的な不確実性を封じる方策も忘れてはならない。国民への徹底した情報公開である。

毎日新聞 2011年4月20日 0時13分

【引用終わり】

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 原発事故の現場で働く人たちの努力を信じよう。この工程実現のために、必死の作業を続けている。不確実性の中での命がけの危険な作業である。私たちに代わってやっている。自分たちが責任を持って果たすべき役割として、義務として原子炉安定化に向けた工程表を一つ一つクリアする至上命令を達成するために。「明けない夜はない」ことを信じて。
 (ケー) 




 福島第一原子力発電所の津波災害がもたらした影響は大きかった。
 原発政策を大きく変えた。日本全体の原発が全て稼働ストップした。
 原発再稼働に向けた国民世論も二分している。
 今後どうなるのか予測がつかない。 

 (ケー)
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