オープン前に施設なくなる

 29, 2016 05:00
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 東日本大震災はあまりにも理不尽なことがあった。
 想定外という言葉が飛び交った。
 あり得なかったことが起きた。
 そのため、今までどおりに踏襲しようとする。
 柔軟な思考が働かない。
 難しい局面であればあるほど、四角四面の対応になってしまう。
 その典型が以下の例である。




♯地震発生から34日目=オープン前に施設なくなる
 
 April 13 2011 09:20
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から34日目(4月13日、水曜日)。 また、大震災発生から34日目の新しい朝を迎えた。

 昨日も、山形市内でも何度も余震があった。
 そのたびに、テレビを付けて速報を聴くことになる。福島浜通りが震源域に近い。
 福島第一原発の近くが震度6弱という報道を聴くたびに原発事故の拡大を危惧してしまう。仕事もおちおちしていられない気分になる。
 福島第一原発事故は今までのレベル5から一気にレベル7の最悪段階となる評価に変えた。チェルノブイリ事故と同等になった。
 暗いトンネルの先が見えない。

 しかし、この大震災によって多くの人たちが予期せぬ運命に見舞われている。
 4月にオープン予定で、完成したばかりの障害者施設が津波で流されてしまって、困っているという記事を見つけた。
 毎日jpに掲載されたものである。次に引用する。
 
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【引用始め】

 毎日jp
 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110413ddm041040079000c.html

東日本大震災:岩手・陸前高田の障害者施設、建物消失 津波で補助金停止

 ◇県「完成確認できず」

 岩手県陸前高田市の社会福祉法人「愛育会」の知的障害者ケアホームが津波で流され、県が「建物の完成が確認できない」と補助金の支払いを見合わせていることが分かった。国と県の補助金計1350万円を見込んで建設され、完成したばかりだった。法人側は「建物はできていた」と反発し、厚生労働省も県に柔軟な対応を求めている。

 同ホームは、障害者が必要な支援を受けながら自立した生活を送る。定員6人で、計7部屋の平屋建てが2月10日に完成し、4月1日にオープン予定だった。しかし3月11日の津波で建物は流され、コンクリートの土台だけになった。

 愛育会によると、建設費約2150万円の6割余りを国と県の補助金で賄う予定で、既に建築会社への支払いは済ませた。しかし震災後、県に補助金の請求をしたところ「支払いできるか分からない」と言われたという。菅野正明理事は「建物を失ったうえ、補助金も受け取れず、負債を抱えるだけになってしまう。どうしたらいいのか」と話す。

 県障がい保健福祉課によると、補助金を支払うには、県の職員が登記簿などで完成を確認したうえ、現地確認が必要になる。現地確認は15日に予定していたが、建物全体が流されていたため「ルール上は支払えない可能性がある」(担当者)と判断したという。

 一方、厚生労働省障害福祉課の担当者は「登記簿などで客観的に建設完了が認められれば全額支払いできる。県は対応策を調査したうえで回答すべきだ」と話している。地域で暮らす障害者の家族らでつくる「日本グループホーム学会」の室津滋樹事務局長は「被災地ではほかにも同様のケースがあると考えられる。自治体は前例に縛られることなく対応してほしい」と求めている。【蒔田備憲】

 毎日新聞 2011年4月13日 東京朝刊
 
【引用終わり】

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 以上のような事例は、法人側に過失があったわけでなく、補助金を支払う県側もこんなことが起きるとは夢にも思っていなかった。想定外の出来事である。
 しかし、そうはいっても、これを平時の杓子定規で対応するのは、いかにも官僚主義的である。この非常時になにを悠長なことにこだわるのだろう。
 みんなあまりに大きな大災害で思考停止している。特に、県側の硬直的な対応が歯がゆくなる。非常事態に対する常日ごろの対策がいかになされてなかったということである。
 県側もそれどころでないことはわかる。
 しかし途方に暮れている被災者に対して、「支払いできるか分からない」なんていう何気ない言葉を発するべきでなかった。どのクラスの県職員が言ったかわからないが。「上司と相談して検討します。ちょっと待ってください。」ぐらいの回答をすべきであった。

 この非常時だからこそ、いろんな齟齬はある。
 でも、その齟齬を少しずつ解消していく必要がある。
 そうすれば、「明けない夜はない」。
 (ケー)




 本事例は最終的にどうなったかわからない。
 何らかの解決はなされたに違いない。
 良い解決策になったことを信じて。
 県だってそんなに冷たいことばかりしていたはずがないと思うのだが。
 あの当時の混乱を考えればそうせざるを得なかったと同情さえ覚えるので。

 (ケー)
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