「できること」は多い

 27, 2016 05:00
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 一生のうち、2度も大津波に遭遇した。
 そんな人生もある。
 これも運命とよそ事のように思うしかないのだろうか。
 いくら嘆いてみても何の解決にならない。
 そうであれば、前を向いて進むしかない。
 以下は、84歳にもなる老母の思いが綴られている。




♯地震発生から32日目=「できること」は多い
 
 April 11 2011 17:44
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から32日目(4月11日、月曜日)。 また、大震災発生から32日目の新しい朝を迎えた。

 1ヶ月が経ち、現在進行形の課題が目白押し。それでも、被災地を復旧し、復興し新たな街づくりに向かうことが求められる。
 福島第1原子力発電所事故も、解決までには道遠しで不安だが、必死に取り組んでいる人たちがいる。
 きっときっとなんとかなるし、なんとかしなくてはと、楽観主義の姿勢が今こそ大事だ。テレビのAC公共広告機構で何回も繰り返し語りかけている。
 「日本は強い国。」「日本の力を信じている。」

 新聞記者が、津波で今まで2回被災した84歳の母親のことを次のように記事にしている。こんな悲惨な体験なのに相手を思いやる姿がある。

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【引用始め】

msn.産経ニュース
3・11大地震 「できること」は多い
202011.4.10 07:32 (1/2ページ)http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110410/dst11041007340017-n1.htm

 私事ながら、岩手の生家が津波にやられた。84歳の母が今も避難所にいる。発生から4日目の晩、その母がテレビに映った。「おばあちゃんは皆さんに支えられています」と書いた紙を掲げていた。

 郷里への深夜直通バスが再開。終点で迎えたのはヘリに救急車のサイレン、防災行政無線のアナウンスだった。下車するや、まぎれもない惨状。自衛隊車両が行き交う。これが、わが故郷か。

 港祭りに漁船仕立てで郷土芸能「山口太鼓」の山車(だし)が行くメーンストリート。その同じ路上に本物の漁船が打ち上げられていた。生家の目と鼻の先だ。瓦(が)礫(れき)の中には泥まみれのピアノが数台。もちろん鳴らない。代わりに数十羽のカラスが嫌な声をたてた。

 近所の書店の店先に、ドロドロに濡(ぬ)れた黄色と赤の塊。学習教材を詰めた手提げの紙袋が何百個も平積みになっていた。新学年を迎える子供たちの目に一度も触れられず、廃棄処分されるのだろう。新1年生の分もあったはずだ。

 消防団員におぶさって難を逃れた母は、画面で見たより元気そうだった。だが、しょげていた。昭和8年3月3日の三陸大津波で生家を失い(ひな人形を流されたとよく聞かされた)、津波だけでも2度目の被災。しょげないわけはないが、理由は違った。「今度は家を流されずに済んでよかった」とテレビに言ってしまったという。ともに布団を並べる一家は流され、帰る家が無いというのに。不用意な言葉だったと悔いていた。

11.4.10 07:32 (2/2ページ)http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110410/dst11041007340017-n2.htm

 障害のある人が100人いれば100人全部が違うように、被災地の人たちもまた一人一人、抱える事情はすべて違う。「みんな同じ」被災者ではあっても、実は「みんな違う」。復興を合言葉にしても、足がかりすら見つけられない人がどれだけいるか。

 「今、自分にできること」を多くの人が考え続けている。メディアにいる私自身は今回、「間接被災者」の一人として郷里(生家)復旧の役割も負うことになった。先週末も2度目の深夜バスに往復9時間半ずつ揺られた。大変な重荷だが、誤解を恐れずに言えば、奇貨とすることはできる。また、そうでなければならない。

 東北の、そのまた僻地(へきち)。ほとんど漁業と観光だけの、老いた港町が連なる沿岸部。自分を育んだ風土の実像が、それこそ千年に一度のタイミングで浮き彫りとなっている。まずは凝視。目を背けていたものまでが見えてくる。「できること」は、多い。(文化部編集委員 山根聡)

【引用終わり】

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 年老いた親、老いた港町、それぞれ異なる事情の中で、今「できること」に全力を尽くしている。
 これさえ続ければ、「明けない夜はない」。
 (ケー)




 悲嘆にくれてもいい。悔いることもある。
 そんな人生の時もある。大変なめに遭ったばかりの時はなおさらだ。
 大変であればあるほど、悲嘆は長く続く。
 しかし、どっかで切り替えて前を向く。
 そんなときが必ず来る。
 5年が経って、上記の老母(当時84歳)は元気だろうか。老母が住む東北の被災地もかなり元気を取り戻しているはず。

 現在進行形の熊本地震の被災地は学校再開もままならずのようだ。
 多くが初めてのことばかり。多くのぎくしゃくは覚悟して、被災地支援を進めていけばいい。

 (ケー)
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