会社も人生もまるごと津波にもっていかれた

 16, 2016 05:00
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

日本は地震大国。いい迷惑な話だ。
 今度は熊本地震が発生。平成28年(2016年)4月14日、午後9時26分だ。
 熊本県益城町で震度7の激震を観測。
 死者9人、けが人1千人以上。
 建物の倒壊は多数。
 熊本城は、この激しい揺れで瓦・石垣が崩落し、天守閣のしゃちほこが失われた。
 九州新幹線も回送列車が脱線した。全線が運転を見合わせている。

 以下は、東日本大震災から21日経過して、津波で大きな損害のあった会社と甥っ子の運命の話だ。
   


【引用はじめ】

♯地震発生から21日目=会社がなくなった

March 31, 2011 09:28

 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から21日目(3月31日、木曜日)。
 また、大震災発生から21日目の新しい朝を迎えた。

薄ぼんやりした天気

 山形市内の朝の天気は雨模様。うすグレイに全体がおおわれ、蔵王の山々もぼおーとかすんでいる。低くたれこめた雲があちこちを隠し、山肌には筋状の白ぽい雪が見える。薄ぼんやりしたはっきりしない風景である。

スタンドの店員も手持ちぶさた

 ガソリンスタンドには給油待ちの車が全然なくなった。灯油購入の列も見当たらない。
 あれほどの列ができていたのにと思う。
 それにしても、今日などはスタンドで給油している車が一台もないのには驚く。
 どの車も満タンにしたので給油する必要がなくなったのだろう。
 スタンドの店員も手持ちぶさたにしているのが印象的。

大きな転機

 親戚の甥っ子も大変な状況だ。
 仙台の港近くに会社があった。それが、会社の建物ごと一切合切津波で持っていかれた。
 彼も命からがらだったという。なんとか一命は取り留めることができた。
 同じ会社の仲間二人が亡くなった。それも、自転車で自宅へ戻る時に、津波にのみ込まれたというのだ。
 彼の購入して1年しかなっていない車も津波でさらわれ、使い物ならない状態になった。無残な姿を写真で見た。
 彼の会社は、仙台で再建しないことになった。
 今、会社を退職するか、転任するか決断をせまられている。
 本社が中部地方にあって、転任先はそっちになる。単身赴任を覚悟せざるを得ない。
 今は夫婦共働きで妻の方の会社の被害は最小限だった。
 人生設計がすべて変わってしまっている。
 彼は、転任のない会社として今の会社を選んで、とても満足していた。
 それが、今回の震災で考えもしない方向になってしまった。
 家も建てたいと希望していた。
 その実現も困難な状況になった。
 今勤務している会社は、食品関係の会社。原発の問題が長引けば、東北地方というだけで、食品の扱いもかなり難しくなるという判断も、会社側にはあるのだろう。

 そのため、仙台の営業所を引き払うことになった。
 今後、東北に営業所をつくる見込みがあるのかないのか。
 東北に戻るのは、いつになるかちょっとわからない。
 大きな転機になってしまった。  
 
 それでも、「明けない夜はない」。新たな地で新たな活躍を期待するのみ。彼ならできる。彼ならやるはず。 
 
【引用終わり】



 日本で起きる大地震には2種類ある。
 海溝型と内陸型。
 海溝型は、東日本大震災である。プレート(岩板)境界が動くもの。
 内陸型は、内陸の活断層が動く。直下型である。
 今回の熊本地震は内陸直下型だった。震源付近に大きな被害があった。それに比較して、周囲はそうでもなかった。
 半端でない大きな地震が続いている。
 被害に遭った人たちに心からお見舞い申し上げる。
 きっと、障がいのある人たちは、多くの不便さを感じているだろうなあ。

(ケー)
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