山形市総合スポーツセンターが避難所に

 06, 2016 05:00
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 山形もあの大震災に際して、他県からの避難者に避難所を提供した。
 特に、山形市総合スポーツセンターには1000人超の人たちが非難した。
 それをまとめるために、自治会ができた。
 以下に、そうしたことが記されている。
 少しでも、秩序だった動きができるようにするための知恵だ。
 原発事故に対しても、被害を食い止めようとする誠実な対応がみられる。
  


【引用はじめ】

♯地震発生から13日目=ようやっとガソリン詰めた

March 22, 2011 9:42

 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から13日目(3月23日、水曜日)。
 また、新しい朝を迎えた。

避難所に自治会組織立ち上がる

 山形市総合スポーツセンター(山形市落合)には1000人を超す県外の人たちが避難している。
 避難所生活している人たちが、自主的に自治会組織をつくり、動き出しているという。
 体育館内にいる人たちを3区画に分け、自治会長を決め、一人一人の状況を調べて、きめ細かなニーズの把握に努め始めたというのだ。
 被災した人たちも自分たちでなんとかしようと動き始めた。

原発事故による光明と問題

 福島第一原子力発電所も損傷した電源も復旧して通電に成功した。
 ポンプが動き出して冷却装置も稼働することだろう。
 こうなるとレスキュー隊や自衛隊による放水もしなくてよくなるのでないか。
 少しずつだが、原発事故も終息に向かいつつある。
 ただ、これからは放射能物質による汚染の程度が心配。
 風評被害で原発から30キロ以上離れている「いわき市」にさえ、近付くのを嫌がって物資が届きにくくなっている。
 唯一開店しているスーパーにも食料品などが入らず、あっという間に売り切れるという。
 販売制限しても追い付かない。
 罪作りなことをしている。
 FUKUSHIMA50といって名もなき英雄と世界中で称えられた原発の冷却のために闘った人たちもいたというのに申し訳ない。

 まあ、こうしたことも一時的なヒステリー症状だろう。

 「明けない夜はない」はずだから。
 (ケー) 

【引用終わり】



 避難生活者たちや、原発被害を食い止めようとする人たちは必死だ。
 日々の安定や安心を求めてがんばっている。
 とんでもない辛さを押し殺しての対応である。
 5年前の混乱は筆舌に尽くしがたいものがあった。
 今、ようやく落ち着きつつあると言っても、まだこれからということも多い。
 これからどのぐらいの年月を要するのだろう。
 それが明確に見えない不安も大きい。

(ケー)
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