暖房が入らなかった

 03, 2016 05:00
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 育成会が入居しているビルでは、震災当時重油の手配も難しいということで、暖房も午前中で切られるようになった。
 寒い中での仕事となった。
 しょうがない。
 スキーウェアに身を固めて過ごすようにした。
 それなりに協力しないと。
 被災地はそれ以上に厳しい。
 以下、その様子が記されている。
  


【引用はじめ】

♯地震発生から12日目=スキーウェアを準備して

March 22, 2011 9:42

 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から12日目(3月22日、火曜日)。
 また、新しい朝を迎えた。

スキーウェアを準備

 本日も事務局のビルは11時で暖房が切られる。
 そのため完全装備でのぞむべく準備してきた。
 スキーウェアを準備。

 いつまでこの状況が続くか分からない。
 これが永遠に続くわけでない。
 流通だって少しずつ回復傾向にあるとの報道。
 その間はしのがなければ。
 この程度で不平言っていては被災者に申し訳ない。
 不要不急のために使う燃料が最優先されなければならない。
 被災者の寒さ対策、そして被災地復旧活動のために使う必要がある。
 原発事故を食い止めることのために全力をそそぐことのためにも必要だろう。

 「明けない夜はない」
 そのために、被災の少なかったところが全面的に協力していく覚悟と努力がいる。

【引用終わり】



 いっときの我慢。
 みんなで厳しさを分かち合ってこその復興である。
 被災者が一番大変な状況にあるのだから。
 今もって仮設住宅で過ごす人たちもいる。
 原発事故のせいでふるさとに戻れない人たちもいる。
 前の生活を取り戻すには、これから何年かかるのだろう。

(ケー)
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