湯たんぽ抱いて

 29, 2016 05:00
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。
 3.11の大震災から1週間経過した様子が以下に記している。
 山形市内の郊外の何ごともなかった風景である。 
   


【引用はじめ】

♯地震発生から9日目=支援者に感謝

March 19, 2011 09:50

湯たんぽ抱いて

 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震から9日目(3月19日、土曜日)。
 また、新しい朝を迎えた。
 真っ青な青空。
 1週間前の地震発生の次の日は、何をしていたか。
 まだ、電気がこないとぶつぶつ言いながら、ラジオに耳を傾けていた。
 テーブルには、地震発生の日の夜、灯りをとるために使ったろうそくが真っ黒な芯だけ残して置いてある。
 自宅は断水にもならず、プロパンガスだったし、ストーブも反射式の旧式のものだったので、かろうじて暖はとれる状態だった。
 湯たんぽを何十年ぶりかで押し入れから取り出し、フトンの中で抱いて寝た。

穏やかな自然は清々しい

 そして、1週間が過ぎた。
 新聞を取りに出たついでに、近くの河原に足を伸ばした。
 しばらくぶりだった。
 堅雪を踏みしめながら河原の堤防に出た。
 河川敷は一面真っ白な雪。
 河畔に何ごともなかったように水どりが泳いでいる。
 真っ青な空には、群れをなして鳥が舞ったかと思うと遠くへ飛び去っていった。
 北西には真っ白に輝く月山、葉山、そして南東方向には蔵王の峰々が黒い影を帯びてそびえている。
 穏やかな自然は清々しい。
 しかし、あの1週間前の地震によって、津波を引き起こし、科学の粋によってつくりあげた原子力発電所も含めて、大災害を東日本一帯にもたらした。

日本の命運がかかっている

 今現在、福島第1原子力発電所の原子炉の暴走に立ち向かっている消防署員、自衛隊員、警察、東電の職員たちがいる。
 19日の未明に冷却水を放水したおかげで放射線量が低下したというのだ。
 「放水作業は3号機の使用済み核燃料貯蔵プールの水位を上げるため、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が19日午前0時半から1時10分にかけて実施した。」(MSN産経ニュースより)
 危険を顧みず、危険をおさえるために、その危険と闘っているのだ。
 言葉だけで、命がけなんて簡単に言う人たちが多い中で、本当に命がけで立ち向かっている。
 日本の命運がかかっている。
 その人たちが命運をかけて闘ってくれている。
 本当にありがたい。

 「明けない夜はない」
 今、地震被害のために支援をしてくれる人たちがいるからこそ可能になるのだ。

【引用終わり】



 一番の心配は、原発事故のことである。
 今もって心配は尽きない。
 廃炉に向けた取組は、いつまで続くのだろう。
 現場は退却の続く負け戦の感に近いかもしれない。
 でも、これはなくてはならないことである。
 必要な事である。
 かつて敗戦から立ち直ったこともあるのだから。
 なんとかなる。
 いつかは故郷を取り戻せる。

(ケー)
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