東日本大震災の影響で印刷屋に依頼した会報の発行遅れ

 26, 2016 05:00
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。
 あの当時、3月に発行する予定だった会報が、予定通り発行できなかったことを思い出す。
 原稿も仕上がって、レイアウト等の編集も終わり、印刷屋にお願いしてあった。
 ところが、突然の3.11大震災。
 印刷工場は突然の大震災に見舞われ、印刷機等を動かせなくなった。
 そのおかげで、仕事の段取りが大幅に狂ってしまった。
 予想だにしない状況に見舞われたということである。
 以下、そのへんの事情が述べられている。
   


【引用はじめ】

♯印刷屋も新聞配達も大変 March 17, 2011 11:36

印刷屋の仕事も遅れて大変だ

 昨日(3月16日)の午後、いつもお願いしている印刷会社の営業マンが育成会事務局に来た。
 昨日(3月16日)まで納品予定の本育成会会報「手をつなぐ親たち第33号」がまだ仕上がってないということだった。
 地震の影響をもろに受けた。
 地震で印刷機が損傷したわけではない。
 地震の時には幸いにも稼働していなかった。
 揺れがくれば印刷機が自動停止するようになっている。
 それでも、その後停電でコンピューターも、印刷機も動かすことができず、まる二日間仕事にならなかった。
 年度末のため多くの仕事を抱え、計画にしたがって順番どおりやっていたが、思いもよらない大震災が起きた。
 それで、停電後、フル回転で仕事にはげんでいるという。
 3月18日(金)に、県育成会では研修会を予定していた。
 そのおりに、参加者に会報を配布予定だった。
 しかし、研修会が地震のせいで中止になった。
 だから、会報は来週中でもかまわなくなった。
 印刷工場もこの3月を過ぎると、仕事も極端に減るらしい。
 今後、地震発生の影響で紙の調達も難しくなる。
 在庫がある分で今のところ何とかなっているのだが、これがなくなればどうなるかわからないという。
 特殊な紙は簡単に手が入らなくなっている。
 印刷機というのは紙がちょっとずれても印刷はおしゃかになるという。
 仙台にある印刷工場などは、きっと地震の大揺れでなにもかもだめになっているだろう。

【引用終わり】



 あの時は、何もかも計画どおりにはいかなくなってしまった。
 3月末の会議も全てキャンセルだった。
 その連絡で大慌てだったことを思い出す。
 でも、被災地に比べたらこの程度に過ぎなかったのである。
 被災した人は、身近な人が亡くなり、住む家が流され、全財産も失った。
 故郷に住めなくなってしまった人までいた。
 避難所で日々を過ごす人たちであふれていた。
 日々、炊き出しの食事だったのである。
 あの時、これからの生活に対する不安ももちろんあっただろうが、身近な人が亡くなり、行方不明になった人の心配で頭がいっぱいだったろう。
 5年たっても、気持ちが癒されることはないに違いない。

(ケー)
関連記事

COMMENT 0

WHAT'S NEW?