停電で味わった少々の不自由

 15, 2016 05:00
 東日本大震災から5年がたち、当時の心境をつづった本ブロガーのケーのブログを再録している。
 あの時、山形市内も1日停電になりその不便さを以下のように綴っている。
 


【引用はじめ】

♯停電で味わった少々の不自由( March 14, 2011 14:49 )

3月11日(金)14時46分の東北地方太平洋沖地震発生から4日目(3月14日、月曜日)。

停電で味わった少々の不自由

 山形市内は地震で建物が倒壊したり、人的な被害がひどかったわけでない。
 停電が24時間以上続いたぐらい。
 3月12日、土曜日の夜半には、県内ほとんどに電気が付いた。
 電気のほかに、水道・ガスなど止まって不便だったところもあったようだ。
 どこもかしこも、停電のためろうそく付けたり、懐中電灯であかりをとったりしてしのいだ。
 暖房も不自由した。電気がこないのでファンヒーターも使えない。
 テレビはもちろん付かない。
 情報を得るには唯一ラジオのみ。
 電話だってほとんど通じない。
 携帯なんていざという時に役に立たないことがつくづくわかった。
 通話ができないし、充電もままならず。あっという間に電池切れが表示されて使えない。
 電池も買いだめしてないと、ラジオ、懐中電灯も使えない始末。
 まったくもって、今までののんきな生活というのは、当たり前でなかったのだなあと、やっと気づく。
 気づくのが遅いよなあ。

【引用終わり】



 いかに電気のインフラが大事かがわかる。
 生活は全て電気によって成り立っている。
 あの時、あれほど停電で不便と感じたのに、今は以前通りに電気生活にどっぷりつかっている。
 あの時のようなことは、度々起こらないから大丈夫との思いがあるからだ。
 あきれるほど、楽観的だ。
 ちょっと我慢すれば、なんとかなったからだ。
 身近に死んだ人がいたり、家が流されたりと甚大な被害がなかった。
 簡単には立ち上がれないほどの被害をこうむらなかった。
 そのこと自体は幸いだったかもしれない。
 それが備えに対する真剣さにつながっていない。
 ちょっとぐらいの反省では備えといった行動にはいたらない。
 5年という節目に、少しでもいいから電池の買いだめぐらいはしておこう。

(ケー)
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