弱きも強きも同じ運命

 12, 2016 05:00
 東日本大震災から昨日で5年。
 昨日に続き、平成23年3月11日に体験した内容を本ブロガーのケーが記述したものを再録する。
 大震災が起きた時、山形県庁で会議があり、そこで突然発生した大震災の様子である。
 動転していたというより、現実感がなかったといった方が正確である。
 突然、会議が中止になり、9階から地下まで駆け下り、車に乗ったら、信号機がダウンしている。
 育成会の事務所に戻れば、職員が右往左往。
 事務所内はものがいたるところ散らばっている。
 とりあえず、早退することになった。
 今まで、こんな経験はなかった。
 何もかも今まで経験したことがない。
 そうしたことが起こった。
 以下、その現実を淡々と描写している。



【引用はじめ】

*100年に1度の大地震発生=東北地方太平洋沖地震(March 13,2011 10:20)

会議中止

 少し静まると、隣の山形市育成会の会長さんが席を立って、9階の窓からブラインドごしに外を覗いていました。
 そのように、外を眺めている人が何人かいました。
 私も外の様子が気になります。

 どのぐらい経ってからでしょうか、ようやく県庁職員から、会議は中止しますとの話が出ました。
 「停電でエレベーターが動かない、階段使ってください、帰宅にあたっては車のスピードは出さない、ラジオを付けて運転する」ようにとの話でした。
 それを聞いて山形県手をつなぐ育成会事務局(山形市小白川町)に戻ろうと考えました。
 山形市育成会の会長さんに「じゃーまた」と声かけて、その場を立ちました。
 会議の出席者たちも、なんかどうしていいかわからない感じで、座ったままの人もいました。

信号機はダウン

 ケーは、県育成会事務局にもどろうと、急ぎ階段を降りました。
 9階から狭い階段下りていくと、下から県庁職員が急いであがってきます。
 まっすぐ地下1階までおりました。

 そこから、県庁の裏口に出て、駐車していた車に乗りました。
 出てすぐの十字路の信号機はついていません。
 互いに譲り合ってのノロノロ運転をせざるを得ません。
 次の信号もついていません。
 すべて信号はダウン。
 停電で街中の信号は動いてない状況でした。

 ラジオも臨時放送で地震の情報を伝え続けています。
 いたるところでサイレンがなっています。

県育成会事務所

 ようやく、午後3時過ぎ、山形県総合社会福祉センターに到着。
 センターの玄関口にたくさんの人混み。センター内の職員たちが避難しておりました。

 センタービル3階にある育成会事務所に入ったら、一人で残っているはずの職員もいません。
 事務所内の部屋もひどい状況。
 机の書類がばらばらに床にちらかっている。
 机のデスプレイも180度回転。
 ゴム印入れからゴム印が飛び出して床にいくつも落ちていました。
 スチール棚の引き戸もすべて半開き状態になっていました。
 しばらく、なにも所在なげにしていたら、職員も戻ってきました。
 センターの職員はみんな建物の外に避難していたということでした。
 彼も気が気でなく、直ぐ帰宅することになりました。
 自宅まで50キロもあるので帰宅するのにどれぐらい時間かかるかわからない。
 信号が止まっているので国道はずっと渋滞続きが予想されます。

 事務所のちらかった書類を机上にきちんと重ね、ゴム印もゴム印入れに戻し片づけ、デスプレイを元どおりになおしました。

 ケーも、15時半過ぎに帰宅の途につきました。
 このセンタービルに入っている団体職員たちも、皆同様の措置でした。

【引用終わり】



 大震災の正確な中身はわからなかった。
 それでも感覚的にすごいことが起きている。
 そう思った。
 自然がもたらす突然の大変化。
 予想だにしないものに、何も抗しようがない。
 ただただ、驚きの言葉しか出なかった。
 弱きも強きも同じ運命にあった。 

(ケー)
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