障がい者の明治期改革にともなう犠牲

 18, 2015 05:29
 明治の改革は障がい者にも大きな影響を与えた。
 検校制度の廃止は盲人にとって大きな痛手となった。

 そのへんの事情について、花田春兆氏は以下のように述べる。
 花田春兆氏の引用は第18回目である。、 



【引用はじめ】

花田春兆(国際障害者年日本推進協議会副代表)
日本の障害者の歴史―現代の視点から―

「リハビリテーション研究」1987年3月(第54号)2頁~8頁 (財)日本障害者リハビリテーション協会発行
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r054/r054_002.html

A 近代以前

B 近代以後

 1.明治・大正

 改革といえば政治面ばかりでなく、文学にも新しい動きが現われています。
 その中で、言葉の遊びになろうとしていた俳句を、近代的な詩としてよみがえらせる基礎を築いた人が正岡子規です。
 彼は俳句だけでなく短歌や文章にも新しい生命を与える成果をあげていますが、驚くことに彼はその仕事の大部分を、肺結核からカリエスとなって歩行不能ばかりか、寝床に釘付けになった状態でなしとげているのです。
 この影響でというわけでもないでしょうが、日本独特の短詩と内部障害者を含めての障害者との関係は、より一層深まっていきます。

 もちろん改革にともなう犠牲もあったでしょう。
 禄を失った武士が困ったように、検校制度が廃止されて困った盲人たちも多かったでしょう。
 でも、あんまとか三味線を演奏することなどで収入を得られる盲人はまだよい方でした。
 それの出来ない障害者はどうだったでしょうか。

 乞食はいつの代にもあったでしょうが、見世物に出て生活していく方法がなされるようになったのは、江戸時代の中頃からでしょうか。
 見世物とは珍しいものを一般の人に見せて、見物料をとる興行です。
 珍しいものの中に、小人や奇形などの障害者が入れられていたのです。
 そうした人が何か芸を見せればもっと効果的でした。
 手の無い人が足で太鼓をたたくとか、口で字を書くとか、……です。若い頃は見世物に出ていて辛い思いをした、と語っている障害者に、私も会ったことがあります。
 もちろん見世物として一生を終った人も多かった筈です。

【引用おわり】



 正岡子規の近代俳句は、肺結核という病気療養の中から生み出された。
 明治の身分制廃止によって、検校制度も廃止された。それに依存していた盲人は大変であったろう。
 障がい者の生き方として見世物になった人たちも少なくない。
 辛い生き方だったに違いない。

(ケー)
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