北斎の浮世絵にはいざり車が描かれている

 16, 2015 05:01
 浮世絵絵師の北斎が身障者用のいざり車を描いている。
 物乞いで生きていた障がい者であったと思われる。
 江戸期の障がい者の生活は悲惨だったことがわかる。

 このことに関して、花田春兆氏は以下のように述べる。
 花田春兆氏の引用は第16回目である。、 



【引用はじめ】

花田春兆(国際障害者年日本推進協議会副代表)
日本の障害者の歴史―現代の視点から―

「リハビリテーション研究」1987年3月(第54号)2頁~8頁 (財)日本障害者リハビリテーション協会発行
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r054/r054_002.html

A 近代以前

5.江戸時代(近世)

 庶民の芸術としては、欧米にも有名な浮世絵があります。
 [葛]飾北斎(かつしかほくさい)といえば特に優れた画家ですが、この人のスケッチの中に「いざり車」を見かけました。
 いざりが乗る車で、平たい木の箱に小さな木の車輪を付けて、手で地面を掻いかり棒で押したりして進むのです。
 描かれている身なりの貧しさからして、盛り場や寺社の境内などに行って物乞いをして生きていた乞食(こじき)ではないか、と思われます。

 将軍でもなく、検校などにもなれない庶民の障害者の姿がそこにあるような気がしました。

 そうした物乞いをして生きなければならないような障害者でも生きて行ける一つの要素としては、町というか、もう少し狭い隣近所の親睦に役立っていた隣保(りんぽ)組織の働きがあったと考えられます。
 武家屋敷とか大きな商店を除いては江戸の庶民の住居は、長屋というスペースの狭い1階建ての集合住宅でしたから、人々は顔を会わせないではいられなかったのです。
 それに徳川政権はキリスト教の抑圧を徹底するために、相互に監視させるねらいもあって相互の連帯を強化させる政策をとっていました。
 オーバーに表現すると、すべての責任は長屋全体で負わなければならない、という具合いでした。
 その真のねらいがどうであれ隣近所の相互扶助のシステムが障害者にプラスしていたことは確かでしょう。

【引用おわり】



 物乞いをしても生きていけた江戸の庶民生活があった。
 互いが助け合って生きた長屋生活の隅っこに障がい者もいたのである。
 差別と迫害の中で生きざるを得なかった。
 結局、物乞いというおこぼれ生活だった。
 それが江戸時代に生きた障がい者の運命であった。

(ケー)
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