江戸期の盲人に対する福祉施策

 14, 2015 05:00
 江戸期の盲人の中には、検校制度のお蔭で高い地位を得て、経済的に恵まれた人もいた。
 主な仕事は、鍼灸あんま、箏曲、金貸しなどにたずさわった。
 幕府より独占的な仕事として認められた。
 江戸時代における障がい者保護施策となっていた。

 これに関して、花田春兆氏は以下のように述べる。
 花田春兆氏の引用は第14回目である。、 



【引用はじめ】

花田春兆(国際障害者年日本推進協議会副代表)
日本の障害者の歴史―現代の視点から―

「リハビリテーション研究」1987年3月(第54号)2頁~8頁 (財)日本障害者リハビリテーション協会発行
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r054/r054_002.html

A 近代以前

5.江戸時代(近世)

 :検校といった身分制度(しかも金で買っていける)への批判はあるでしょうが、この制度によって保護され、またそれなりの権威を保てたことがプライドにも影響したのでしょう。
 この江戸時代には優れた盲人たちが輩出します。

 あんま・ハリ・灸(きゅう)など医学的な面で盲人の職業をひらいた杉山検校、琴の名人として琵琶に代わる音楽を普及して、その演奏と指導を盲人の職業として確立していった八橋(やつはし)検校、歴史学者として当時の第一人者ともなった塙保己一(はなわほきいち)などは特に有名です。

 もちろん、優れた名を残すような盲人よりも、そうでない人の方が多いのは当然でしょう。
 それら多くの盲人のために、位を買うお金をつくらせるという理由をつけて、徳川政権は盲人に金貸し業をさせました。
 公認の金貸しですから威張ったものでした。
 公認を笠にして強引な取立てもやったようです。
 金持ちの商人などは、金の無い盲人に陰で金を回しで金貸しをさせていたらしいのです。
 あくどくやりすぎて嫌われることもあったようですが、嫌われるだけの力は持っていたと言えましょう。

【引用おわり】



 江戸時代、盲人の盲官位として最高位の検校まで73の位階が定められていた。
 検校の地位ともなると、大名なみの権威と格式があった。
 箏曲の演奏や作曲、鍼灸あんまなどの発展に寄与した。
 『六段』などで有名な箏曲の八橋検校、鍼灸あんまの名人杉山検校は今でも名を残している。
 
(ケー)
関連記事

COMMENT 0

WHAT'S NEW?