くぐつという漂白芸人一座

 11, 2015 05:00
 戦国の世、障がい者の生き方の一つとして、くぐつと言われる芸人一座に交じって各地を渡り歩いていた。
 芸によって生活の糧を得ていた。
 芸人一座の中でも地位は低くおこぼれをもらっていたと予想される。

 これに関して、花田春兆氏は以下のように述べる。
 花田春兆氏の引用は第11回目である。、 



【引用はじめ】

花田春兆(国際障害者年日本推進協議会副代表)
日本の障害者の歴史―現代の視点から―

「リハビリテーション研究」1987年3月(第54号)2頁~8頁 (財)日本障害者リハビリテーション協会発行
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r054/r054_002.html

A 近代以前

4.戦国時代

 琵琶法師たちが1人または数人の盲人だけで行動していたのに対して、くぐつは障害者の集団というよりも障害者も加わった集団と言う方がよいでしょう。
 多い場合は20人から30人或いはもっと多い人数が一座を組んで、各地を移動していたらしいのです。
 くぐつというのは操り人形という意味を持っていますが、人形使いだけでなく、曲芸師や奇術師、踊り子、琵琶や笛や太鼓などの演奏家たちを含んだ一座だったようです。
 クル病・カリエス・盲人などの障害者が、その中で演奏や道化役をしていたことは確かでしょう。
 こうした集団は平安朝の頃から存在していて、ずっと後世まで続くのです。

【引用おわり】



 障がい者は芸人一座において異形の者としての扱いだっただろう。
 人に驚きと恐ろしさを与える珍しい者といった売り方だったに違いない。
 障がいそのものを売り物にしていた。
 かわいそうにといった同情心や畏怖の念を抱かせる役割だった。
 差別や偏見を助長するものであった。
 当時、障がい者が生きるためにはこうした生き方を選ばざるしかなかった。 

(ケー)
関連記事

COMMENT 0

WHAT'S NEW?