社会的排除に抗する運動

 09, 2015 05:00
 かつて障がい者の多くは、就学猶予・免除によって、教育を受けられないことが長く続いた。
 これをなんとかしようと立ち上がったのが、母親たちのグループである。
 教育権をかちとろうとする運動を始めたのが、手をつなぐ育成会であった。
 森はな絵氏がこのことに関して以下に説明している。

 森氏の引用は第15回目となる。



【引用はじめ】

知的障がい者との共生社会の実現
森 は な 絵
www.f.waseda.jp/k_okabe/semi-theses/11hanae_mori.pdf

1.4 障がい者運動の本格化

  このような差別社会の中で、障がい者やその家族たちが黙って生きていたわけではなかった。
 まず動き出したのは障がい者の親である。
 1952年、3人の障がい児の親たちが知的な障がいのある自分たちの子供の幸せを願い、教育、福祉、就労などの施策の整備、
充実を求めて、仲間の親・関係者・市民の皆さんに呼びかけたことをきっかけに「手をつなぐ育成会」(現在「全日本手をつなぐ育成会」)を発足した。
 当時は、障がい者は「教育の猶予や免除」といった形で十分な教育も受けさせてもらえず、社会からも排除されていた。
 そういった障がい者の人権を取り戻すために立ちあがったのが育成会である。
 その後、 親や関係者が立ち上がり47都道府県すべてに「手をつなぐ育成会」が結集され、その連合体が「全日本手をつなぐ育成会」になった。
 どのような活動を行ってきたかというと、 通勤寮、養護学校や各種障がい児(者)施設の整備の要望や政府との検討会などであり、 現在もなお障がい者にとっても住みやすい環境作りに取り組んでいる。
 これに続き、1961年に「全国肢体不自由児親の会」、1963年に「全国言語障害児をもつ親の会」、1966年に「脳性マヒ児を守る会」、1967年に「自閉症児親の会」など相次いで障がい児・者関係者の団体ができていった。

【引用おわり】



 昭和20年~40年代において、障がい児の学校受け入れはかなり困難だった。
 親たちは必死の思いで学校入学のために行政等とかけあった。
 障がいのある子をもつ親にとっては、共通の願いだったので、運動が全国的に広がった。
 そして、全国的な組織もできあがった。
 こうした組織の運動が盛り上がったお蔭で、教育、福祉、医療、労働等の施策が進展していった。
 今では、多くの障がい児者やその保護者及び関係者が、当然視する権利等を享受することができている。
 数十年にわたる先輩たちの努力があってはじめて、今の社会福祉体制が生み出されたのである。
 
(ケー)

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