「支える」ことは「支えられること」 

 26, 2015 05:08
 人間の宿命である障がいや病気に対して、いかなる社会を築くのがいいか。
 誰もが生活しやすい社会文化を構築することが、安定した豊かな社会となる。
 障がいがあろうがなかろうが、みんな満たされた社会にする努力が求められている。
  
 こうした内容について、浅井浩氏は以下に述べる。
 浅井氏のの引用は第34回目となる。



【引用はじめ】

http://www.asai-hiroshi.jp/newpage4.html
浅 井  浩

 「障害」 の 「予防」 と 「障害者」 という用語について

                             2009.12.25/ 更新 2014.1.31

障害を予防することの理由と根拠

 「障害の予防」というのは、人にとって障害になるものを予防するということなのですが、「障害」の「予防」 ということが、障害をもつ人の存在を否定するような解釈や誤解につながっているという問題があるようです。
 「障害を予防する」 というのは不謹慎なことなのでしょうか。

 人間の場合、本来なら生命の維持のみならず、その誕生すらむずかしいような事態でさえもたいていのことは解決できる反面、そのことがさらにむずかしい病気や障害を誘発する要因になっているとも考えられます。

 病気もせずに健康な生活を送ることができたとしても高齢になるにつれ誰もが必ず衰え、心身の変調をきたします。
 保健衛生の向上により寿命が延びたのはよいが、高齢化に伴う介護の課題は現代の社会問題になっています。

 人間は病気や障害とは無縁で生きられない。
 それは高度に進化した人間のいわば宿命だと思います。
 そうだとすれば、そうした宿命を肯定した人としての生き方の追究が大切になります。
 そこに病気や障害に対する理解や配慮を要する必然性があり、障害や病気を予防することの理由と根拠があるはずです。

 人々は日々生きるための努力をし、生きる努力の中で、互いによく生きられるように支え合うことによってこそ、よりよい社会を築くことができるのだと思います。
 「支える」ことは「支えられること」 であると思います。

 障害をもつ人が生きやすい社会は、障害のない人にも生きやすいはずです。
 誰にとってもよりよい社会を構築するには障害者の存在があってこそ具体的に考えられることだと思います。

 「障害者を締め出すような社会は弱く脆い社会である」と考えることができるところにこそ心ゆたかな人間だけが築くことのできる社会的文化があると思います。

【引用おわり】



 障がいに対して、適切な支援がある社会は、障がいのない人にとっても生きやすい。
 障がいがないと思っていても、いずれは何らかの障がいに見舞われる。
 そう考えれば、互いが支援し合う社会でなければならないことに気づく。
 また、支援を受けていないといった人など今の社会においていない。
 私たちは自給自足生活をしない限り、支援なしでは生きられなくなっている。
 そういう文明社会を築いてきたのである。
 複雑な文明社会は、相互の支援がきめ細かく行われてこそ成立するのだ。
 
(ケー)
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