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日本の知的障がい児(者)教育と福祉に関する3人の先駆者

 11, 2015 05:11
 日本の知的障がい児(者)教育と福祉を語る上で忘れてはならない3人の先駆者がいる。
 戦前に活躍した石井亮一、戦後は糸賀一雄と三木安正の3人である。
 
 浅井浩氏による彼らに関する紹介を引用する。
 浅井氏の引用は第19回目となる。



【引用はじめ】

http://www.asai-hiroshi.jp/newpage4.html
浅 井  浩

日本の障害児(者)の教育と福祉    
             作成 2012.7.1/改訂 2015.3.21

日本の障害児(者)の教育と福祉の原点

 日本の教育や福祉は今、大きな変革期の中にあり、混迷した状況もみられます。
 日本の知的障害に関する教育や福祉の原点ともいえる滝乃川学園の創設者である石井亮一(1867~1937年)、戦後では、近江学園の創設者である糸賀一雄(1914~1968年)や旭出学園の創設者である三木安正(1911~1984年)の思想や取り組みを改めてたどってみることの意義は大きいと思います。
 そこには目指すべき考え方の拠りどころとなるものがあると確信します。

◇石井亮一(1867~1937)
 社会事業家であり、日本の障害児(者)教育・福祉の創始者。
 二度にわたり渡米し、故セガンの未亡人からセガンの教育論等を学び、滝乃川学園(東京都国立市)を創設し、第二次世界大戦以前における知的障害児(者)の教育・福祉の先駆けとなった。
 なお亮一の夫人筆子も滝乃川学園の運営に尽力したことが、最近になって映画化されたことで知られるようになった。
 筆子は華族の令嬢で、日本初の海外留学生で、津田梅子らとともに日本の近代的女子教育の先駆者でもある。
 結婚して三女を儲けるが、次女を病弱のため生後間もなく亡くし、三女と夫も病気で亡くし、長女が知的障害であったことから亮一と出会い再婚、滝乃川学園の経営にかかわることになったということである。

◇糸賀一雄 (1914~1968)
 戦後日本の障害児教育・福祉の先駆者として業績を残す。
 1946(昭和21)年、戦後の混乱期の中で、知的障害児等の施設「近江学園」(滋賀県)を創設。
 近江学園は、1948(昭和23)年の児童福祉法の施行に伴い県立の児童福祉施設となり現在に至る。
 重度の障害児であってもその成長発達は保障されなければならないとして重症心身障害児・者を単に保護の対象としてではなく、発達の主体としてとらえることが大切であるという思いを「この子らを世の光に」ということばにこめて、重症心身障害児の療育に尽力した。その精神は現在に受け継がれている。
 著書に「福祉の思想」(NHKブックス67)

◇三木安正(1911~1984)
 1946(昭和21)年に文部省教育研究所所員となり、戦後の教育改革における特殊教育部門の基礎資料の作成にあたる。
 1947(昭和22)年に学校教育法が施行され、「六・三制」の実施に伴い中学における知的障害児の教育の必要性に着目し、教育研究所内に実験学級「大崎中学分教場」を設置し、数人の研究所員とともに授業を担当。
 この分教場はのちに、東京都立青鳥養護学校(現在の青鳥特別支援学校)に発展。
 間もなく文部省(現在の文部科学省)に転任し、戦後の特殊学級の復活・設置促進のため全国をかけめぐり、全日本特殊教育研究連盟(現在の全日本特別支援教育研究連盟)を設置し、主導的役割を果たした。
 その間、「養護学校学習指導要領」の編成に尽力。
 「手をつなぐ親の会」の結成にも尽力。
 その一方において1950(昭和25)年に「旭出学園」を設立。
 旭出学園は、1960(昭和35)年に学校法人旭出学園(東京都練馬区)、1972(昭和47)年に社会福祉法人富士旭出学園(静岡県富士宮市)、1974(昭和49)年に社会福祉法人大泉旭出学園(東京都練馬区)の三つの法人組織に発展し、知的障害児・者の教育と福祉の事業を展開し現在に至っている。
 2000(平成12)年に業績に関連する著書や資料等を集めた「三木安正記念館」が開設された。
※三木安正記念館:東京都練馬区東大泉7-12-16 旭出学園内 ℡ 03-3922-4134

【引用おわり】



 石井亮一は、戦前ほとんど顧みられなかった知的障がい児(者)に対する教育と福祉に率先して携わった。
 今も滝乃川学園としてその業績が連綿として受け継がれている。
 石井の取組は16名の少女孤児に対する女子教育から始まっている。災害に遭った孤児たちが売春させられている実状を見かねて引き取ったことがきっかけである。
 その16名の中に2名の知的障がい児がいた。
 その子たちをなんとかしなければという思いもあり、また強力な支援もあって滝乃川学園を続けることができたという。

 戦後になって活躍した糸賀一雄や三木安正もその業績が著書や記念館として残っている。
 また、彼らが残した施設も運営を続けている。

 こうした先駆者の取組と苦労をふりかえり、日々の課題に挑戦する必要がある。

  
(ケー)
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