施設化政策から脱施設化政策への転換

 10, 2015 05:03
 施設が地域移行ということで、グループホーム化といった小規模になる方向が主流になっている。
 かつては大規模な施設による集団主義的な保護が中心の内容だった。
 その反省から、家族主義による地域生活を重視するものに転換してきている。
 
 ただ、浅井浩氏は、一方的に施設を否定するような主張に反対する。
 浅井氏の引用は第18回目となる。



【引用はじめ】

http://www.asai-hiroshi.jp/newpage4.html
浅 井  浩

日本の障害児(者)の教育と福祉    
             作成 2012.7.1/改訂 2015.3.21

施設化政策から脱施設化政策への転換について

 1960年代以降のノーマライゼーション理念の広がりに伴い、北欧諸国やアメリカでは施設の縮小や解体へと進みますが、日本の場合は、それとは逆に施設中心の施策が進められ、1970年代はその勢いが増すことになります。

 そうした中で1981(昭和56)年の国際障害者年を契機に、いわゆる「共に学ぶ」「共に生きる」というノーマライゼーションの理念は世界的規模で障害(者)観に大きな影響を与えました。
 そして今、日本でも脱施設への方向が示されています。

 しかし社会資源としての「施設」の必要性とその意義を忘れてはなりません。
 脱施設に向けた考え方自体はよいと思いますが、その考え方の背景となった事情が、歴史的にみれば、北欧諸国らの場合と日本の場合ではちょっと違うという点にも目を向けて考えてみるべきではないかと思います。

 西洋諸国における施設施策の考え方は、特別なケアを必要とする知的障害児(者)を施設の中で保護・指導するものではあっても、それはいわば知的障害者を排斥する社会防衛的な発想による政策的なものであり、保護・指導・治療・訓練等のあらゆる取り組みを施設内だけで完結しようとするものでした。
 そのために隔離隔絶による人間性軽視に陥ったわけで、その反省がやがて脱施設化政策へと転ずることになったわけです。

 これとは対照的に、日本の場合の施設の取り組みは、きわめて人道的な見地に立ったものであり、社会防衛的な隔離隔絶的なものというよりも、社会の圧迫から保護するとともに、生活能力を高めるための教育的な取り組みを施すものでした。
 その原点といえるのが明治時代に石井亮一により設立された滝乃川学園(現所在地:東京都国立市谷保)です。
 それはその後の施設づくりにも影響を与え、受け継がれ、現在に至っているといってよいと思います。

 施設そのものを否定するのではなく、その施設がなぜ必要なのか、そこで何がどのように行われるのか、その施設が地域社会にどのように位置づけられるのかを問題にすることこそが大切だと思います。

 施設が必要なものであれば、それは重要な社会資源の一つとしてその真価が問われて当然です。
 施設が知的障害者にとって、その権利を擁護し、生活や活動の質的充実を図る拠点であり、しかも地域福祉啓発の拠点として機能するものであるならば、そうした施設の在り方は現在の日本の変革期においては特に重要だと考えます。

  「施設から地域へ」 はよいが、「地域から施設へ」 は悪いとして、全面的に施設を否定するような考え方であるとすれば、それこそが偏見や差別ではないでしょうか。
 「施設から地域へ」 であるとともに、「地域から施設へ」 であり、「施設も地域も、地域も施設も」という考え方が大切だと思います。

【引用おわり】



 以上のように、浅井氏は今まで施設が果たしてきた役割を振り返り、その機能をさらに発揮できるようにすることが重要であると指摘する。
 地域福祉の拠点とする重要性はますます必要になってきている。
  
(ケー)
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