娘を施設に預けることを頑迷に断り続けて

 29, 2015 05:00
 以下の事例、ずっと「あの子は私のすべて。私がいないとだめだと思っていた」と言っている。
 そして、施設入所も断り続けてきた。
 親が高齢化し、娘の介護に限界を感じ心中にいたった。
 親は死にきれず、娘のみが亡くなった。娘にとっても、親にとっても悲劇的な結末である。

 さて、本論文の引用は、第19回目となる。



【引用はじめ】

障害者家族におけるケアの特性とその限界 ―「ケアの社会的分有」にむけた検討課題―

中根 成寿(立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程)

『立命館産業社会論集』2005年3月

3 親密な関係の特性と限界

 2002年,埼玉。
 久喜市で9月,最重度の知的障害のある娘(当時46)を絞殺したとして殺人罪に問われた無職T被告(72)の初公判が8日, さいたま地裁(若原正樹裁判長)であった。
 T被告は罪状認否で起訴事実を全面的に認めた。
 検察側は懲役5年を求刑し,公判は即日結審した。
 判決は12月11日に言い渡される。
 検察側の冒頭陳述などによると,T被告は知的障害のある三女を46年間介護してきた。
 自らの体調悪化などから将来に不安を感じるようになり,9月9日夕,三女の首をよだれをふくために用意した手ぬぐいで絞めて殺害したとされる。
 T被告は首つり自殺を試みたが,苦しさの余り遂げられなかったという。
 冒頭陳述で検察側は「被告人は周囲から娘を施設に預けるように勧められたが,頑迷に断り続けた」と指摘した。
 T被告は被告人質問で「あの子は私のすべて。私がいないとだめだと思っていた」と供述した(2002 年11月09日朝刊)。

【引用おわり】



 T被告の「あの子は私のすべて」という言葉には、うそ偽りはない。
 そして、「わたしがいないとだめだ」と思い込んでいた。
 だから、「周囲から娘を施設に預けるように勧められたが,頑迷に断り続けた」のである。
 娘を46年間介護し続けてきた。
 親と娘の関係は切っても切れない。死ぬ時もいっしょとなってしまった。
 自己主張できない娘はなすがままにするしかない。
 親の一方的な考えに翻弄されてきたとも言える。
 でも、親からすれば娘のためを思ってということだ。
 T被告が周囲の声に耳を傾けようとしなかった理由はなんだったのだろう。
 いろんな軋轢により、T被告は孤立してしまったのかなあ。
 心を打ち明ける仲間がいたならばと悔やまれる。
 地元の育成会の人たちと少しでもかかわる機会がなかったのだろうか。
 ちょっとした手助けでT被告も救われる方向性を見いだせなかったかなあ。

(ケー)
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