あなたをほうっておけない私

 26, 2015 05:15
 本論文は、哲学的な省察が続いている。
 独特の専門用語を駆使した解説である。
 だから、ブロガーとしてはあまりそうした用語にとらわれず自分なりの捉えで解釈している。
 要は、日常的な用語を使って、よりわかりやすくとらえることに努めている。
 理解できなければ何の意味もないと思うからだ。
 著者にとっては誤解釈に対する不満は残るだろうが。

 今回は、障がいのある子を「傷つきやすい存在」という言葉で以下では表現している。 

 さて、本論文の引用は、第16回目となる。



【引用はじめ】

障害者家族におけるケアの特性とその限界 ―「ケアの社会的分有」にむけた検討課題―

中根 成寿(立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程)

『立命館産業社会論集』2005年3月

2 ケアへ向かう力―ケアする者はなにを得ているのか

 つまり「あなたをほうっておけない私」の存在が「ケアへ向かう力」の根拠となる。
 そこには個々人の強さを基盤とした自立する主体同士のぶつかり合いではなくて,ヴァルネラブルな (傷つきやすい)存在が介助という身体接触を含めた行為を通して関わることでかろうじて生きていく。
 「あなたをほうっておけない私」が親というアイデンティティと結びついて存在している事と,罪悪感からはじまり内発的義務を通して変容した責任とが同時に「ケアへ向かう 力」に含まれる。
 「子どもの自立」が大切なのは当たり前にわかった上で,それでもわき上がる内発的義務によって大切な他者を支えたいと いう感情,自己決定が大切だということがわかった上でもなお,子への関わりを捨てきれな い。
 これらのことを表面的にとらえれば何の問題もないように見える。
 ケアしたいと思う親がいて,ケア無しでは生きていくことに困難のある子がいて,双方にそのニーズを充たしあっているのならば,問題はないではないか,という人がいるかも知れない。
 実際に日本の社会は,家族にケア機能のほとんどを期待する。
 ケアを社会的に分担するよりもできれば家族でやってほしいという意識が強いため,ケアを家族の外に出すことに罪悪感や後悔の感情が背負わされる (藤崎[1999])。
 ここには二つの問題点があると指摘できる。
 一つは「他者による自己実現の危険性」,もう一つは「時間へのもろさ」である。
 以下検討する。

【引用おわり】



 日本社会では障がいのある子は、家族が面倒見るのが当たり前といった風潮が強い。
 家族が面倒をみないで、施設などに頼ることは、なにかしらの罪悪感を背負ったりする。
 世間に後ろめたさを感じたりする。
 家族の力にも限界がある。それを素直に出せない。責任を放棄していると思われるのでないかといった心配である。
 育成会は60年の歴史の中で、こうした問題を踏まえた運動を展開してきた。
 先輩の人たちは並外れた苦渋を味わいながらここまでたどり着いた。
 権利擁護(差別解消法等)を訴えることができるようになったのは画期的である。
 今後、この本筋をはずすことなく進むことである。
 あとから続く親たちにとって、もちろん障がいのある当事者により良い社会が実現することを期待したい。

(ケー)
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