罪悪感から生ずるケア力の向上

 25, 2015 05:00
 親たちは、障がいのある子に対して申し訳ない気持ちがある。
 申し訳なさが子育てを一生懸命にさせている。
 それを以下では、「罪悪感から始まる内発的義務」と称している。

 さて、本論文の引用は、第15回目となる。



【引用はじめ】

障害者家族におけるケアの特性とその限界 ―「ケアの社会的分有」にむけた検討課題―

中根 成寿(立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程)

『立命館産業社会論集』2005年3月

2 ケアへ向かう力―ケアする者はなにを得ているのか

 ケアする動機のジェンダー格差はUngerson [1987=1999]によって考察されている。
 Ungersonの調査は高齢者分野についてであるが,男性は愛情を動機とするのに対して,女性は規範を第一の理由とする傾向がある。
 ある自閉症の男性の父親と母親に子どもをケアする動機について尋ねたことがある。
 親から子へのケアの動機は「義務ではなくて愛情」と二人とも口をそ ろえて答えた。
 この夫婦が言う義務とは「外圧的義務」という意味で使われており,最首が主張する内発的義務とは別である。
 この夫婦が愛情と表現したもの,関係の中から自然と湧き 出てくる人をケアに向かわせる力,これが最首のいう内発的義務にあたる。
 内発的義務が立ち現れてくる過程について, 最首は「責任」の考えが発展して誕生するものだと主張する。
 最首のいう責任とは「(自分の) その選択,決定が誇れない,あるいはベストではなかったと気づいたとき,次の同じような機会には,違うように振る舞おうとすること」であるという。
 自分の決定が他者に影響を与え,その影響が不可逆的であり行為の償いを完全には負い切れない,それでもなおその他者と関わらざるを得ない,関わりたいという思いが内発的義務であるとする。
 罪悪感がその始まりにあったとしても,それはいつしか内発的義務として取り込まれる。

【引用おわり】



 子育ては愛情をもって接しなければならないといった義務感だけではうまくいかない。
 表面的に愛情を注いでいる。がんばっているといった対応である。
 これは単に周囲を気にした対応に過ぎない。
 子を気にした子育てとは言えない。
 子育ては試行錯誤の中で、失敗を積み重ねながらより良い対応を見出すことだ。
 上記の引用では、次のように表現している。
 「「(自分の) その選択,決定が誇れない,あるいはベストではなかったと気づいたとき,次の同じような機会には,違うように振る舞おうとすること」
 障がいのある子を抱えていろんな問題が生ずる。いくらやっても償われることは少ないとしても、なんとかしようとする。
 それが子どもを変え、周囲を変え、社会を変える。

(ケー)
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