障がいのある子を育てる親の内発的義務感

 23, 2015 05:10
 障がいのある子に対する親の子育ては、特別の義務感からなされているものでない。
 この子を自分の力でなんとかしたいという内発的義務から生ずるものだ。
 以下の引用に、その内容が記されている。

 さて、本論文の引用は、第13回目となる。



【引用はじめ】

障害者家族におけるケアの特性とその限界 ―「ケアの社会的分有」にむけた検討課題―

中根 成寿(立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程)

『立命館産業社会論集』2005年3月

2 ケアへ向かう力―ケアする者はなにを得て いるのか

 しかし,ケア(介助や安定収入を得ること) は上記のような周りから背負わされる義務感だけで成り立っているのでもない。 障害をもつ子の父親である最首悟は,親として子のケアに向かう力,また障害をもつ子の「権利」の根拠を成立させるものとして「内発的義務」の存在を説いている。
 最首のいう「内発的義務」という言葉は,冒頭で紹介したような親たちの「ケアへ向かう力」と共通している。

 「自発的に,内発的に,これは義務と思うようなことが自分の中に形成されてきて,その義務がか弱い存在,愛する存在に向けて行為化されるとき,相手の感謝などには関係なく,深い充足感がはらまれるのだろう。
 私たちは義務というと,他から押しつけられる,上から押しつけられるものと,反射的に反応してしまうので,よい感じはもっていないけれど, 行動原理の根底は内発的義務であり,その内容は「かばう」とか「共に」とか,「世話する」とか,「元気づける」であって,それを果たすとき,心は無意識のうちに充たされるのかもしれない。」(最首[1999:131])

【引用おわり】



 障がいのある子を抱える親の子育ては、いやいやながらやっているものでない。
 もちろん、その状況によっては苦労のぐちもこぼしたくなる。
 でも、この子のために有名な医者に相談したり、効果のある指導を受けてみたりと、いろんなことを試みる。
 そうした苦労をいとわず行う。
 当たり前の行為から出ている。この子をなんとかしたいという一心からである。
 これを上記の引用では、「内発的義務」と言っている。

(ケー)
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