健康な子どもとして産ん挙げられなかった

 22, 2015 05:37
 障がいのある子を持つ母親は、贖罪感が多かれ少なかれある。
 下記の母親Dは、「生まれてからこの子を死なせないためにどうしょう」と常に死に物狂いだった。
 
 さて、本論文の引用は、第12回目となる。



【引用はじめ】

障害者家族におけるケアの特性とその限界 ―「ケアの社会的分有」にむけた検討課題―

中根 成寿(立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程)

『立命館産業社会論集』2005年3月

2 ケアへ向かう力―ケアする者はなにを得て いるのか

 「ケアへ向かう力」の中には,ケアする者の 「ケアの動機」が含まれている。
 つまり親たちはケアを行うことになにかしらの感情を抱き, そしてそこからなにかしらのメリットを得ていると考えられる。
 障害をもつ子へのケアは,最初は目の前にいる他者を死なせたくないという願いから始まる。
 まずはやむにやまれぬ「必要性」があげられるだろう。

 母親D
 「死なさないことが全てだった。
 だからマタニティブルーとか言う段階ではない。
 そんなに余裕はない。必死。
 だからね,逆にね,楽だったかなって今になって。いらん事考えてる余裕がなかった。
 ぴりぴりどうしようこの子これからどうしよう?とかそんな先のことは,今,今日何CC飲むかが全てみた いな。
 体重がどんだけのびるかって。」

 目の前にいる他者を死なせたくないという思いから始まった介助関係は,子どもが障害をもつ場合,子どもが成人になっても継続する。
 特にケア役割が社会規範的に期待されている母親は,「罪悪感」という社会構築的な感情によって「介助する(母)親」という役割に囚われていきがちである(土屋[2002:166-167])。
 「健康な子どもとして産んで挙げられなかった」という贖罪の気持ちが(母)親に生じることで, 親としての責任が自己意識・社会構造から相乗的に強化され,「ケアする親」という役割が継続されていく。
 ここで「義務感」や「罪悪感」 も「ケアへ向かう力」の中に取り込まれていく。
 母親の場合は直接的な介助行為だが,父親の場合は職業人としての安定収入がその役割の中心的目的となる。
 介助(ケア)と安定収入(キャ ッシュ)の充足を求めて,障害者家族のジェン ダー役割は再生産されていく(中根[2005])。  社会によって構築される義務感を「外圧的義務」 と整理しておこう。

【引用おわり】



 母親は、障がいのある子を「いかに守るか」という思いが先に立つ。
 一生そうした関わりが続く。
 子どもをずっと保護しなければ生活できないと、過剰な手のかけ方となる。
 母親はそうした役割があるものだと、社会も考えがちだ。
 そのため、なおさら母親はその役割を果たすのに懸命となる。
 そうした過剰な手のかけ方は、障がいのある子の自立に支障をきたす結果となっている。
 子どもに対する手のかけ方がメリハリあるバランスとれたものにすることが、それぞれの母親たちにとって大切である。
 
(ケー)
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