障がい者家族におけるケアの多様性

 14, 2015 05:13
 障がい者に対して、社会がケアをある程度引き受ける。
 今、社会ではそうした方向に動いている。
 しかし、障がい者家族の中には、これを良しとしない考えもある。
 以下の引用は、そうした内容のものである。

 本論文は、第4回目の引用である。



【引用はじめ】

障害者家族におけるケアの特性とその限界 ―「ケアの社会的分有」にむけた検討課題―

中根 成寿(立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程)

『立命館産業社会論集』2005年3月

1 ケアの社会的分有への違和感を巡って ―障害者家族の親たちの語りから

 しかし,「ケア」と一言でいってもその中には「配慮」や「ケア責任」「ケア提供」などのグラデーションが存在する(Fisher & Tronto [1990])。
 さらに「ケア」に人が向かう動機もさまざまである。
 ケアへ人を向かわせる力には他者の欲求(ニーズ)に答えるという単純な応答だけでなく,愛情や義務を始めとする多くの 変数が同時にそれでいて多層的に埋め込まれている。
 「ケアへ向かう力」は決して一つの概念で包括できるものではなく,光を当てる角度によってその姿を変えるような多面性を持っている。

  筆者がそのことに気づかされたのは,フィールドワークにおいて「ケアの社会的分有」と相容れない親の声に出会った時である。
 それは家族による介護を継続したいという意志とも願望 とも判断しかねる語りであった。
 こうした声を制度の不備による不安感で説明することも可能だろう。
 だが本稿で筆者が指摘したいことは,それとは異なる。
 ケアの社会的分有の流れにのらない親の言葉が表すものをここでは「社会的分有への違和感」と呼んでおこう。
 ここには制度の不備や周囲の無理解ということだけでは説明しきれないケアリング関係の特性が潜んでいる。
 以下に「社会的分有への違和感」について語られた親たちの声を提示する。

【引用おわり】



 障がい者を抱えた家族にとって、ケアを社会に任せきれない信条が働く。
 もちろん、多くの困難があることは承知の上である。
 それだからこそ、親の会では家族の大変さを少しでも軽減する施策を要望してきている。
 しかし、それのみで解決できない家族の思いがある。
 その思いについてどう理解するか。
 親たちの複雑な思いに寄り添う姿勢とは、どういうものか明らかにする必要がある。 

(ケー)
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