日常生活動作は知的障がい者にとって生活の主人公であるための土台

 29, 2015 05:17
 加齢によって、知的障がい者はさまざまな日常生活動作が低下する。
 その動作の低下を支えることによって、より良い生活を保障することになる。
 以下、そうした支援の意義について述べてある。

 本論文の紹介は第12回目となる。



【引用はじめ】 

植 田   章

佛教大学社会福祉学部論集 第6号(2010年3月)

知的障害のある人の加齢と地域生活支援の実践的課題 ──「知的障害のある人(壮年期・高齢期)の健康と生活に関する調査」から

archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/FO/0006/FO00060L019.pdf
  
4 日常的な生活動作を支えることの意味(2)

 「眠ること」「食べること」「排泄すること」「清潔を確保すること」,これら一連の日常的な生活動作は健康で順調な生命活動を維持するだけではない。
 利用者が生活の主人公であり続けるための土台でもある。
 したがって,日常的な生活動作の低下は生活や人生に対する利用者の姿勢を受身なものにしてしまう恐れがある。
 そのため,職員の支援は動作そのものの維持を目的とするだけではない。
 一つひとつの動作の維持・向上によって広がる生活の可能性を保障することを重視して行われている。
 たとえば,「排泄する」という行為は,健康保持のために欠かせな い行為である。
 しかし支援を必要とする人にとってはそれだけではない。
 散歩のためには歩くことをあきらめてしまう人でも,排泄のためには歩いてトイレに向かおうとする。
 また,「トイレにいきたい」という意思表示が外界に対して自分の意思を伝える貴重な機会になっている人もいる。
 同様に,「清潔を確保する」こととかかわって衣服の着脱がある。
 着衣という行為は,衣服の選択など利用者が自己決定できる場としての意味も含まれている。
 こうした日常的な生活動作を,「時間がかかるから」「不十分だから」という理由から行為そのものだ けを重視して支援を行うのはもんだいである。
 そうした支援によって,健康保持は叶っても,その行為によって広がったであろう利用者のさまざまな力──自己主張や意思表示,生活意欲は失われ,他者に生活部分の多くを委ねることにもつながってしまうだろう。
 また,動作することの要求に含まれた彼らの思いや訴えを受け止めることができないとすれば,そのことは彼らの人間としての誇り,ひいては存在そのものを否定することにもなりかねない。
 職員が日常的な生活動作への支援を重視し,時間と人手を割いて支援してきたのにはこうした視点があるからである。

【引用おわり】



 基本的な日常生活動作の低下によって、生活そのものの活力を失わせる。
 「排泄」、「着衣」などの動作の低下をできるだけ緩やかにふせぐよう、働きかける必要がある。
 それにより知的障がい者のQOL(生活の質)を維持することになる。
 今まで以上に支援には負担がかかることだろう。
 しかし、本人たちの生活をより良いものにする上で、時間をかけたよりていねいな支援が必要である。

(ケー)
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