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 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 東日本大震災で後見人と被後見人が離れ離れになって、十分な対応ができなくなった事例があった。
 また、後見人が亡くなってしまって次の後見人を探すのに手間取っている事例も出た。
 管理していた通帳等の書類が津波などでなくなった例もあった。
 こうしたことにどう対応することができたのだろうか。
 大混乱の中で、責任ある関係者たちが解決策を見出してくれたことを信ずる。
 以下は、当初の問題提起である。




♯地震発生から35日目=後見人と被後見人が離れ離れ
 
 April 14 2011 13:14
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から35日目(4月14日、木曜日)。 また、大震災発生から35日目の新しい朝を迎えた。

山形市内は余震が続く。どうなっているんだ。
 録画したドラマをみていて、急に緊急地震速報が入った。身構えていたら、揺れない。やっとこのドラマは録画だったことにあらためて気づく。
 こんな調子である。
 大震災がもたらした被災により、また一つ予期せぬことが障がい者に起こっている。
 この大災害によって、被後見人と後見人が離れ離れになって、財産管理、身上監護ができなくなっている事例もあるという。
 被災地における実態把握はほとんどできてないのが現状である。
 次のような「msn.産経ニュース」のレポートを引用する。

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【引用始め】

msn.産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110413/trd11041307420010-n1.htm

東日本大震災 成年後見制度、大災害想定せず 現状把握など公的支援を
2011.4.13 07:40 (1/3ページ)

 東日本大震災で、被災地の弱者保護が大きな課題となっている。判断能力が不十分な認知症の人や障害者などを法律や生活面で見守る「成年後見制度」では、世話をしていた後見人も被災するなどして、制度が利用できなくなった被後見人が多数いるとみられる。専門家は「現状把握を急ぐなど、公的な支援が必要」と指摘する。(草下健夫)

 ◆避難先で離れ離れ

 「『被後見人の安否確認と安全確保を最優先してほしい』と会員に指示している。ただ、避難してどこに行ったか把握できていないといったケースは多いのではないか」

 後見人を引き受ける司法書士らで構成する公益社団法人「成年後見センター・リーガルサポート」の矢頭範之専務理事は、震災の影響の大きさを説明する。

 「預かっていた金融機関の通帳などの書類や記録を含め、事務所ごと津波で流されてしまったケースはどうするか。福島県では、後見人が避難して事務所に戻れないといった状況もあるようだ」

2011.4.13 07:40 (2/3ページ)

 同法人では、複数の後見を引き受けていた岩手県の会員1人が死亡したため、家庭裁判所が後任の後見人を選任することになる。矢頭専務理事は「時間をかけず、応急的にでも速やかに選任してもらえないものか」と憂慮する。最高裁判所の統計によると、平成21年に選任された後見人は、子供や兄弟、配偶者など親族が63・5%に上り、残りは司法書士や弁護士、社会福祉士などだ。

 こうした親族後見人について、矢頭専務理事は「震災で状況がどうなっているか一番心配される。(リーガルサポートや弁護士会のような)組織が情報を持たないため、家庭裁判所が何らかの形で安否確認や、後見人が活動できているかどうかの確認ができないとなると心配だ」と指摘する。

 ◆緊急対応が不可欠

 成年後見制度に詳しい中央大学法学部の新井誠教授も「被災地で亡くなった後見人や被後見人がどれだけいるかなど、まずは現状把握を」と強調する。

 これに対し、最高裁判所は「何事も申し立てが前提となっており、裁判所から積極的に動く制度になっていない。亡くなった原因が震災なのかを把握するすべはない」(広報課)とし、被災地の実態把握はできないとの見解を示す。

2011.4.13 07:40 (3/3ページ)

 こうした見解について、新井教授は「あまりにも官僚的。裁判所が後見人を認容しているのだから、活動できない状況に対して責任があるはずだ」と批判する。そのうえで、「今こそ生活、医療、介護、福祉といった身上監護が大切で、後見人が亡くなった場合、誰かが代わりに速やかなサポートをすることが必要。震災孤児の未成年後見と合わせ、行政に特別チームを作り時限立法などで緊急対応するなど、公的支援が欠かせない」と提言する。

 新井教授によると、成年後見制度は今回のような大規模災害を想定していない。この制度がこうした試練にさらされるのは世界的にも初めてで、海外の関係者も注目しているという。

【用語解説】成年後見制度

 判断能力が不十分な人に対し、後見人が財産管理や契約などの法律、生活面を支える制度。後見人は介護サービスの契約を代理したり、悪質商法、振り込め詐欺、親族内の財産トラブルなどから本人を守ったりする。本人または親族、身寄りのない場合は市町村長が、家庭裁判所に「申立」をし、家裁が後見人を選ぶ。通例では、親族が後見人になると無償だが、第三者では費用がかかる。制度のうち、「法定後見」では本人の判断能力の低い順に「後見」「保佐」「補助」の3類型がある。健康なうちに、信頼する後見人と契約しておく「任意後見」もある。

【引用終わり】

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 大災害時に成年後見制度はうまく機能しないかもしれないなんて想定できなかった。
 でも、実態把握からはじめ、いろんな事例を収集する必要がある。
 その早急な問題解決に努める。後見人も新たに選任することも解決策の一つに違いない。関係者の協力が必要となる。人任せ、杓子定規の対応ではこの非常時に官僚的と言われてもしょうがない。
 しかし、関係者の努力はいずれ実が結ぶはず。だからこそ、「明けない夜はない」。 (ケー)
 



 熊本地震の余震は1000回以上を超えた。
 昨日(4月29日)には、大分中部で最大震度5強を観測。
 一連の熊本地震で震度5強を観測したのは計11回になったという。
 まだまだ収まる気配がない。
 今回の地震で成年後見にかかわる問題は生じただろうか。

 (ケー)
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 東日本大震災はあまりにも理不尽なことがあった。
 想定外という言葉が飛び交った。
 あり得なかったことが起きた。
 そのため、今までどおりに踏襲しようとする。
 柔軟な思考が働かない。
 難しい局面であればあるほど、四角四面の対応になってしまう。
 その典型が以下の例である。




♯地震発生から34日目=オープン前に施設なくなる
 
 April 13 2011 09:20
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から34日目(4月13日、水曜日)。 また、大震災発生から34日目の新しい朝を迎えた。

 昨日も、山形市内でも何度も余震があった。
 そのたびに、テレビを付けて速報を聴くことになる。福島浜通りが震源域に近い。
 福島第一原発の近くが震度6弱という報道を聴くたびに原発事故の拡大を危惧してしまう。仕事もおちおちしていられない気分になる。
 福島第一原発事故は今までのレベル5から一気にレベル7の最悪段階となる評価に変えた。チェルノブイリ事故と同等になった。
 暗いトンネルの先が見えない。

 しかし、この大震災によって多くの人たちが予期せぬ運命に見舞われている。
 4月にオープン予定で、完成したばかりの障害者施設が津波で流されてしまって、困っているという記事を見つけた。
 毎日jpに掲載されたものである。次に引用する。
 
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【引用始め】

 毎日jp
 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110413ddm041040079000c.html

東日本大震災:岩手・陸前高田の障害者施設、建物消失 津波で補助金停止

 ◇県「完成確認できず」

 岩手県陸前高田市の社会福祉法人「愛育会」の知的障害者ケアホームが津波で流され、県が「建物の完成が確認できない」と補助金の支払いを見合わせていることが分かった。国と県の補助金計1350万円を見込んで建設され、完成したばかりだった。法人側は「建物はできていた」と反発し、厚生労働省も県に柔軟な対応を求めている。

 同ホームは、障害者が必要な支援を受けながら自立した生活を送る。定員6人で、計7部屋の平屋建てが2月10日に完成し、4月1日にオープン予定だった。しかし3月11日の津波で建物は流され、コンクリートの土台だけになった。

 愛育会によると、建設費約2150万円の6割余りを国と県の補助金で賄う予定で、既に建築会社への支払いは済ませた。しかし震災後、県に補助金の請求をしたところ「支払いできるか分からない」と言われたという。菅野正明理事は「建物を失ったうえ、補助金も受け取れず、負債を抱えるだけになってしまう。どうしたらいいのか」と話す。

 県障がい保健福祉課によると、補助金を支払うには、県の職員が登記簿などで完成を確認したうえ、現地確認が必要になる。現地確認は15日に予定していたが、建物全体が流されていたため「ルール上は支払えない可能性がある」(担当者)と判断したという。

 一方、厚生労働省障害福祉課の担当者は「登記簿などで客観的に建設完了が認められれば全額支払いできる。県は対応策を調査したうえで回答すべきだ」と話している。地域で暮らす障害者の家族らでつくる「日本グループホーム学会」の室津滋樹事務局長は「被災地ではほかにも同様のケースがあると考えられる。自治体は前例に縛られることなく対応してほしい」と求めている。【蒔田備憲】

 毎日新聞 2011年4月13日 東京朝刊
 
【引用終わり】

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 以上のような事例は、法人側に過失があったわけでなく、補助金を支払う県側もこんなことが起きるとは夢にも思っていなかった。想定外の出来事である。
 しかし、そうはいっても、これを平時の杓子定規で対応するのは、いかにも官僚主義的である。この非常時になにを悠長なことにこだわるのだろう。
 みんなあまりに大きな大災害で思考停止している。特に、県側の硬直的な対応が歯がゆくなる。非常事態に対する常日ごろの対策がいかになされてなかったということである。
 県側もそれどころでないことはわかる。
 しかし途方に暮れている被災者に対して、「支払いできるか分からない」なんていう何気ない言葉を発するべきでなかった。どのクラスの県職員が言ったかわからないが。「上司と相談して検討します。ちょっと待ってください。」ぐらいの回答をすべきであった。

 この非常時だからこそ、いろんな齟齬はある。
 でも、その齟齬を少しずつ解消していく必要がある。
 そうすれば、「明けない夜はない」。
 (ケー)




 本事例は最終的にどうなったかわからない。
 何らかの解決はなされたに違いない。
 良い解決策になったことを信じて。
 県だってそんなに冷たいことばかりしていたはずがないと思うのだが。
 あの当時の混乱を考えればそうせざるを得なかったと同情さえ覚えるので。

 (ケー)
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 その時、その場で発した言葉には力がある。
 みんなが共感できる。
 それによって多くの人たちが前に進める。
 いろんな困難に立ち向かう勇気がわく。




♯地震発生から33日目=死ぬ気で直す人がいる
 
 April 12 2011 06:42
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から33日目(4月12日、火曜日)。 また、大震災発生から33日目の新しい朝を迎えた。

 山形市内は昨日の夕方17:16、またも大きな揺れに見舞われた。震度5弱の地震である。福島の浜通りは震度6弱。茨城に津波警報が出た。震源地は福島浜通りで、マグニチュードは7.0。東日本大震災の余震である。
 福島第一原発のある浜通りは震度6弱。外部からの電源供給が止まり、真水を注水するポンプが一時停止した。

 まだまだ、震災による現在進行形の課題が山積している。
 それでも、被災者だけでなく、日本中の人たちが「支えあおう日本」を合い言葉に大震災を乗り越えようと励ましあっている。
 この1カ月に紡いできた被災者を奮い立たせる言葉を「msn.産経ニュース」でまとめた記事を引用する。

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【引用始め】

msn.産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110409/dst11040920060062-n2.htm
「日本の救世主に」「死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる」 震災乗り越える言葉の力2011.4.9 20:03 (2/2ページ)

 大規模な救援活動「トモダチ作戦」を展開する米国のルース駐日大使は23日、石巻市の避難所で被災者の肩を抱いた。「できることは何でもしたい。自然は人の命を奪うこともあるが、人の魂や思いを奪うことはできない」

 インターネットのミニブログ「ツイッター」ではこんな書き込みがあった。「停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。(中略)寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる」

 原発事故により避難指示や屋内退避の対象となっている福島県南相馬市の桜井勝延市長は26日、動画投稿サイト「ユーチューブ」で切々と支援を訴えた。

 「政府、東電からの情報が不足している。食料も足りず、市民にとっては兵糧攻め的な状況。暮らしと命を守るため、協力をしていただきたい」。英語字幕付きの動画は20万回以上再生された。

 今月7日、震度6強の最大余震が宮城県を襲った。南三陸町から栗原市に避難する自営業、阿部春美さん(65)は漏らした。「地震がどこまでも追いかけてくる感じがする」

スマイル

 『大(槌)小6年 松橋瑞季より 今みんなができること 1、明るいあいさつ。2、進んで仕事を見つけること。3、元気に遊ぶこと。4、手あらい・うがい・健康第一!!』

 3月20日、大槌町避難所の弓道場に張り出された「スマイル」というタイトルのメッセージボード。拡声器で読み上げられ、場内に拍手と歓声が広がった。

 未来を担う子供は力強い。31日、岩手県山田町の大沢小学校で6年生が「20歳の自分」へのメッセージをタイムカプセルに入れた。祖父が死亡、祖母が行方不明の大川海渡(かいと)君(12)は手紙につづった。

 『海はとても恐ろしい。でも海はとても大切です。きれいできれいで僕はとても好き。だから漁師になってお父さんといっしょに船にのっていますか』

 双子の弟、海成(かいせい)君は手紙とペンを入れ、決意を語った。「将来は記事を書き、このペンを使って津波の恐ろしさを伝えたい」

 仙台が本拠地の楽天の嶋基宏選手は今月2日、日本ハムとの慈善試合で訴えた。「ともに頑張ろう、東北。支え合おう日本。僕たちも野球の底力を信じて精いっぱいプレーします」(年齢は発言当時)

【引用終わり】

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 そう、一人一人が今できることに一生懸命取り組んでいる。
 だから、「明けない夜はない」。1カ月すぎた今が正念場。ドン底から少しずつ立ち直る時。真っ暗闇の中を手探りで頑張り始めている。
 (ケー)



 あの時の言葉によって勇気づけられて今がある。
 今も続いている問題解決がある。
 そして、熊本地震が起きてしまった。
 5年前の大震災を教訓に、やれることはいっぱいある。

 (ケー)
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 一生のうち、2度も大津波に遭遇した。
 そんな人生もある。
 これも運命とよそ事のように思うしかないのだろうか。
 いくら嘆いてみても何の解決にならない。
 そうであれば、前を向いて進むしかない。
 以下は、84歳にもなる老母の思いが綴られている。




♯地震発生から32日目=「できること」は多い
 
 April 11 2011 17:44
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から32日目(4月11日、月曜日)。 また、大震災発生から32日目の新しい朝を迎えた。

 1ヶ月が経ち、現在進行形の課題が目白押し。それでも、被災地を復旧し、復興し新たな街づくりに向かうことが求められる。
 福島第1原子力発電所事故も、解決までには道遠しで不安だが、必死に取り組んでいる人たちがいる。
 きっときっとなんとかなるし、なんとかしなくてはと、楽観主義の姿勢が今こそ大事だ。テレビのAC公共広告機構で何回も繰り返し語りかけている。
 「日本は強い国。」「日本の力を信じている。」

 新聞記者が、津波で今まで2回被災した84歳の母親のことを次のように記事にしている。こんな悲惨な体験なのに相手を思いやる姿がある。

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【引用始め】

msn.産経ニュース
3・11大地震 「できること」は多い
202011.4.10 07:32 (1/2ページ)http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110410/dst11041007340017-n1.htm

 私事ながら、岩手の生家が津波にやられた。84歳の母が今も避難所にいる。発生から4日目の晩、その母がテレビに映った。「おばあちゃんは皆さんに支えられています」と書いた紙を掲げていた。

 郷里への深夜直通バスが再開。終点で迎えたのはヘリに救急車のサイレン、防災行政無線のアナウンスだった。下車するや、まぎれもない惨状。自衛隊車両が行き交う。これが、わが故郷か。

 港祭りに漁船仕立てで郷土芸能「山口太鼓」の山車(だし)が行くメーンストリート。その同じ路上に本物の漁船が打ち上げられていた。生家の目と鼻の先だ。瓦(が)礫(れき)の中には泥まみれのピアノが数台。もちろん鳴らない。代わりに数十羽のカラスが嫌な声をたてた。

 近所の書店の店先に、ドロドロに濡(ぬ)れた黄色と赤の塊。学習教材を詰めた手提げの紙袋が何百個も平積みになっていた。新学年を迎える子供たちの目に一度も触れられず、廃棄処分されるのだろう。新1年生の分もあったはずだ。

 消防団員におぶさって難を逃れた母は、画面で見たより元気そうだった。だが、しょげていた。昭和8年3月3日の三陸大津波で生家を失い(ひな人形を流されたとよく聞かされた)、津波だけでも2度目の被災。しょげないわけはないが、理由は違った。「今度は家を流されずに済んでよかった」とテレビに言ってしまったという。ともに布団を並べる一家は流され、帰る家が無いというのに。不用意な言葉だったと悔いていた。

11.4.10 07:32 (2/2ページ)http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110410/dst11041007340017-n2.htm

 障害のある人が100人いれば100人全部が違うように、被災地の人たちもまた一人一人、抱える事情はすべて違う。「みんな同じ」被災者ではあっても、実は「みんな違う」。復興を合言葉にしても、足がかりすら見つけられない人がどれだけいるか。

 「今、自分にできること」を多くの人が考え続けている。メディアにいる私自身は今回、「間接被災者」の一人として郷里(生家)復旧の役割も負うことになった。先週末も2度目の深夜バスに往復9時間半ずつ揺られた。大変な重荷だが、誤解を恐れずに言えば、奇貨とすることはできる。また、そうでなければならない。

 東北の、そのまた僻地(へきち)。ほとんど漁業と観光だけの、老いた港町が連なる沿岸部。自分を育んだ風土の実像が、それこそ千年に一度のタイミングで浮き彫りとなっている。まずは凝視。目を背けていたものまでが見えてくる。「できること」は、多い。(文化部編集委員 山根聡)

【引用終わり】

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 年老いた親、老いた港町、それぞれ異なる事情の中で、今「できること」に全力を尽くしている。
 これさえ続ければ、「明けない夜はない」。
 (ケー)




 悲嘆にくれてもいい。悔いることもある。
 そんな人生の時もある。大変なめに遭ったばかりの時はなおさらだ。
 大変であればあるほど、悲嘆は長く続く。
 しかし、どっかで切り替えて前を向く。
 そんなときが必ず来る。
 5年が経って、上記の老母(当時84歳)は元気だろうか。老母が住む東北の被災地もかなり元気を取り戻しているはず。

 現在進行形の熊本地震の被災地は学校再開もままならずのようだ。
 多くが初めてのことばかり。多くのぎくしゃくは覚悟して、被災地支援を進めていけばいい。

 (ケー)
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

以下では、津波のこと、原発のこと、危機管理のことを話題にしている。
 平穏無事が当たり前で、何も問題はないとしていたつけが一気に来てしまった。
 いざという時の気構えがないので、あわてふためいてしまった。
 リーダーというのは有事に強くないとだめだなあと思う。




♯地震発生から31日目=ブレのない危機管理
 
 April 10 2011 10:53
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から31日目(4月10日、日曜日)。 また、大震災発生から31日目の新しい朝を迎えた。

津波が迫ってくる映像

 もう、あれから1ヶ月が経った。
 想像したこともないあの被災状況を映像で見せられ続けた。猛スピードで津波が目の前に迫ってきて、津波警報が街中に鳴り響き、スピーカーから避難指示が流れ続ける。
 街中をあっという間に波が呑み込む。逃げ遅れた人が流され、家が流され、車が流され、大きな船までが内陸部深くに流れこむ。
 防潮堤も10メートルの高さにもなった津波によって、楽々超えられてしまう。真っ黒な波であの賑わいのあった町がおおわれる。それも土煙を巻き上げて、はじめは何ごとが起きたわからない感じの恐怖に包まれる。ごーという音響、みっしみっしと異様な音があたり一面に響きわたる。
 波に呑み込まれた町は、建物が根こそぎもっていかれ、土台を残すのみ。そして、がれきの町に変わっている。声も出ない光景が続く。

 そして、山形市内にいた自分の生活にも今まで経験したことないことが次々と起きた。信号機が止まり、停電が長く続いて不安な夜を過ごす。暖房もない。頼るのはろうそく、懐中電灯、ラジオ、湯たんぽ。

 福島第1原子力発電所が危険な状況になっていることを知ったのは、震災(3/11)の翌日夜半すぎに電気が付いてからである。

 1ヶ月経った今でも福島原発は予断を許さない。
 原発事故に対する政府の危機管理について、不十分な点を感情的に今指摘しても、なんらいいことない。
 それよりも、政府がブレない危機管理体制で臨むことの重要性を指摘するコメントを宮家邦彦氏(元首相公邸連絡調整官、現立命館大学客員教授・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)は「msn.産経ニュース」で以下のように述べている。

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【引用始め】

msn.産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110407/dst11040714530034-n1.htm
宮家邦彦

原発、首相対応がネット上で炎上も、危機管理の要諦…
2011.4.7 14:49 (1/3ページ)

 福島第1原発をめぐる戦いは長期戦の様相を見せ始めた。原子力は素人の筆者だが、「ついに来るものが来た」との思いを禁じえない。危機管理に際しては、よほどの確信でもない限り、常に最悪の事態を想定すべきである。このことを今回改めて痛感させられた。

 その「危機管理」能力に関し、菅直人内閣がネット上で炎上している。正しい情報を出さない、情報伝達が不十分、責任の所在が不明確、統治能力を欠く、パフォーマンスばかり、リーダーシップがない、国家意識が欠けている、等々かなり手厳しい内容だ。

 もっともらしく聞こえるが、実は的外れの批判も多い。「危機」になれば多くの方策が不調に終わり、その不満は必ずトップリーダーに向かう。首相を弁護するつもりはないが、今回の危機管理の議論を単なる政局談議や現内閣批判に矮小(わいしょう)化させてはならない。

 日本では、政府の「危機管理」を批判する側にも、「危機管理」の要諦(ようてい)をあまり理解していない人が多いのではないか。当然だろう。この国には万単位の犠牲者が発生し10万人単位の軍隊を運用する大規模「危機管理」作戦を指揮した経験など誰にもないからだ。

2011.4.7 14:49 (2/3ページ)

 筆者が米国の「危機管理」を目撃したのは2004年のバグダッドだった。当時イラク全土に20万人の多国籍軍が展開し、毎日多数の米兵とイラク市民が手製爆弾の犠牲になっていた。当時米軍を内側から見ていた筆者が考えた危機管理の要諦は次の通りである。

 第一は、一度発生した「危機」は「管理」できないという悲しい現実だ。そもそも管理が可能なら、事態はまだ「危機」ではない。危機の真っ最中に個々の不手際の「犯人捜し」をすることぐらい非生産的なことはない。

 第二は、危機管理の具体的手順だ。ポイントは「危機の特定、評価、理解、対応と情報の管理」であり、この順番を間違えてはならない。最初にすべきは、情報パフォーマンスなどではなく、迫り来る危機の規模を正確に特定・評価することである。

 危機の規模さえ決まれば、後は最悪の事態を想定し、損害を最小にするため必要な資源を準備する。具体的な対応はその道のプロに任せればよい。国民へのメッセージの内容を考えるのは、これらの大筋が決まってからでも決して遅くはない。

 最後に重要なことは、政と官の役割分担だ。危機の特定・評価は職業政治家の仕事であり、理解・対応は基本的に軍、警察、消防など職業公務員の仕事である。間違っても政治家は、危機に際し全ての運用の詳細を管理しようなどと考えてはならない。

2011.4.7 14:49 (3/3ページ)

 以上は簡単なようで、実は非常に難しい。04年のイラクでは、米国の文民トップがイラク軍解体の悪影響を読み違え、政治が軍事作戦に介入したため、信じ難い大失敗が何度も繰り返された。あの百戦錬磨の米国でも危機管理はかくも難しいのだ。

 今回の福島原発危機では、初動段階で原発「廃炉」という危機特定の判断が遅れる一方、首相官邸は現場の自衛隊、警察、消防各部隊の放水の順番まで決めていたと聞く。これでは狡(ずる)賢い官僚組織が危機後の「焼け太り」を狙って跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するだけだろう。

 今からでも遅くない。職業政治家は危機の最終的規模を見極め、指揮命令系統を統一し、必要なら政治責任を取る腹を決めるべきだ。個々の対応は専門家に任せればよい。このようなブレのない危機管理なら、国民も必ず支持してくれるはずである。

【引用終わり】

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 今まさに起きている原発の危機回避に対する提言である。
 そして、その順序どおりに実施する。順序を間違え、自分の任務をわきまえないと混乱ばかり生ずる。それは次の通りである。
 1 個々の不手際に対する「犯人捜し」はしない。
 2 危機の規模を正確に特定・評価する。
 3 最悪の事態を想定し、損害を最小にするため必要な資源を準備する。
 4 具体的な対応はプロに任せる。
 5 情報の管理。
 6 政と官の役割分担
 7 職業政治家の仕事=危機の特定・評価
 8 軍、警察、消防など職業公務員の仕事=危機の理解・対応。

 9 結論
 職業政治家は危機の最終的規模を見極め、指揮命令系統を統一し、政治責任を取る決断力が必要である。

 こうしたことさえやってくれれば、「明けない夜はない」。
 国民は菅政権に任せている。菅政権をとりまく政治家たちが、テレビで発言するのをみていると寝不足という顔をしている。それでは、決断力が鈍る。交替してでも必要な睡眠をとってほしい。日本の命運がかかっているのだから。
 ヒットラーは部下の参謀たちが判断を誤るのはなぜかを心理学者に研究させたという。その時の結論は睡眠不足による疲労が原因となった。ヒットラーは直ちに参謀たちに睡眠不足の解消を命じた。
 しかし、ヒットラー自身が自分のことを振り返ることなく、疲労していたので判断能力が落ちていたことは確かである。それが歴史の冷厳な事実である。
 (ケー)




 現在進行形の熊本地震が激甚災害指定が決定した。
 生活再建がスムーズに進むことを願うばかりだ。
 こういう時こそ、オールジャパンでの取組こそ必要である。 
 (ケー)
社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会が、厚労省の助成金を得て行った研究の報告書を送っていただきました。

研究は「知的障害者が制度を理解するための情報提供のあり方に関する研究」です。
報告書の他に、「わかりやすい情報提供に関するガイドライン」
「わかりやすい」版パンフレットを用いたワークショップを実施する際の留意点
わかりやすい版「虐待されたら”やめて”と言おう」
大阪育縮小版1

わかりやすい版「知ろう・使おう・楽しもう」
大阪育縮小版2

この写真をUPした2種類のパンフレットにつきましては、
送料を負担すれば送っていただけるとの事ですので、
市町村育成会でご入り用の場合はご連絡いただければ、
大阪手をつなぐ育成会の担当者の連絡先をお伝えさせていただきます。

ぜひ、ご利用になってみてはいかがでしょうか。

ご訪問ありがとうございます。事務局(F)


 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 以下は、東日本大震災で被災した障がい者に対する支援の事例である。
 阪神大震災をきっかけにできたNPO法人の貴重な基金が支援金として拠出された。
 今回の熊本地震に際しても、多くの障がい者支援が始まっている。




♯地震発生から30日目=2億円投入NPO障害者支援
 
 April 09 2011 20:41
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から30日目(4月9日、土曜日)。 また、大震災発生から30日目の新しい朝を迎えた。

 阪神大震災を教訓にできた障害者支援のためのNPO法人が、今までたくわえてきた基金全額2億円を投入資金とする。
 それが次のアサヒコムの記事である。
 
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【引用始め】

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201103240084.html
asahi.com 関西 2011年3月24日

大阪のNPO、基金2億円全額投入 被災した障害者支援

 阪神大震災を機にできた障害者支援のNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市)が、16年かけて積み立てた基金約2億円の全額を、東日本大震災で被災した障害者の支援に投入する。「こんな日のためにためてきた。救える命をいま救いたい」という。

 「訪問介護の利用者が津波に巻き込まれ行方不明です」

 「お金が底をついた。早急に援助してほしい」

 ゆめ風基金のブログには、被災地の団体からの悲痛な訴えが並ぶ。障害者の状況はなかなか伝わってこない。そこで、安否確認や支援態勢づくりに役立てようと、被災地の約20団体からメールなどで得た情報を掲載したところ、アクセスが殺到。事務所では「支援したい」という電話が鳴りっぱなしだ。

 基金の設立は1995年6月。阪神大震災のとき、障害者の中に逃げ遅れや避難所で体調を崩した人が相次いだことから、障害者や支援者らが立ち上げた。永六輔さんや小室等さんら著名人にも協力を呼びかけ、約1万人の会員が集まった。基金の元手は寄付金で、新潟中越沖地震やハイチ地震など、これまでに総額約4千万円を国内外の障害者支援に役立ててきた。

 今回も素早く動いた。理事の八幡隆司さん(53)は、各地の障害者団体でつくる障害者救援本部を代表し、18日から20日にかけて福島県郡山市と仙台市で障害者の避難状況を確認。現地の団体から現状を聴き取ったところ、ガソリン不足でヘルパーが介護に向かえなかったり、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者のたんを吸引するチューブが不足したりしているという。

 知的障害者の中には、生活サイクルの急変で精神的に不安定になり、家族の負担も深刻化しているという報告もあった。対応が急務だとして、郡山、仙台の両市に障害者支援のための拠点を作ることを決め、21日に帰阪した。
(ケー)
【引用終わり】

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 支援はいくらあっても足りない。特に、障害者に合った適切な支援がすごく不足している。現地に拠点をつくってNPO法人「ゆめ風基金」が活動を始めた。
 このような活動がある限り、障害者にとっても「明けない夜はない」。(ケー)



 




23日(土)午後からは山形市に新しくできたグループホームを見学してきました。
ただ、花楯という場所にはほとんど行ったことがなかったもので、なんと道に迷ってしまい
本当に近くを通っていたのに建物を見過ごして通りすぎたりしたようでした。

※ナビを使ったのですが、目的地周辺でナビから見放されちゃうんですよね(-ω-)/

そこで、村井センター長に電話をして場所を詳しく教えていただきました。
お手数をおかけしました(*ノωノ)ありがとうございました。

そんなこと(どんな?)ことがあり、気持ち的に焦ってしまい、
外観の写真を撮るのを忘れてしまいました( ;∀;)


こちらは玄関を入ったところです。
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そして、こちらのGHは、高齢の本人さんたちが利用するということで、
なんと、ホームエレベーターがありました。
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もちろん乗ってきましたよ(^^♪
定員は3人だそうです。
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こちらも洗面台が2台ならんでいました。
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お風呂場には、手すりが何本もついていて、どこからでも掴まれるように考えられていました。
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こちらが居室です。
やはり6帖だということですが、クローゼットが壁に収まっているからか
少し広く感じました(天童と比べて)
高齢の方が利用するということもあり、洗濯干場の他に
居室にも簡単な物干しができるような作りになっていました。

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そして、なんと掘りごたつがありました。
これまで見学させていただいたGHに掘りごたつがあった記憶がありませんが、
ここで、みなさんお茶でも飲みながら団らんするのでしょうね。
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トイレと、洗濯干場
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ここは利用者10人の私物を置いておける収納部屋になっています。
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こちらは台所です。天童と違って中は見えないような作りになっていました。
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こちらを利用する方々は、全員が70歳以上の方だそうで、
最高齢は83歳の方だということです。
「手をつなぐ」などにも書いてあったと記憶していますが、
これまでGHを利用していたが、高齢になったことで、そのGHを出てもらえないか
と言われたというような事が出てきているということを聞いておりました。

親は我が子の生活が安定することを確信できずに逝かねばならないのかと
愕然とした思いを抱いてしまいましたが、
ここのホームのように、高齢になった知的障がいの人が利用することを
考えてくれる法人がたくさんでてくれるとありがたいな~と思いました。

どちらのホームでも職員さんが親切に説明してくださいました。
本当にありがとうございました。

ご訪問ありがとうございます。事務局(F)








 東日本大震災から5年がたった。

 発災当初の山形市内を中心としたさまざまな状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。


 4月14日に発生した熊本地震は今日で10日が経過した。

 熊本、大分県を中心にずっと地震が続いている。

 14日の前震はM6.5、16日の本震はM7.3だった。いずれも震度7を記録、かつてないほどの地震である。これからも震度6弱程度の強い地震には警戒が必要とされている。


 以下は、東日本大震災において、1か月近くたってから大きな余震に見舞われた状況を記述している。


【引用はじめ】


♯地震発生から29日目=深夜の地震

   April 08 2011 09:04


  平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から29日目(4月8日、金曜日)。

  また、大震災発生から29日目の新しい朝を迎えた。


深夜震度6強の地震発生

 昨夜、また大きな地震が発生した。
 4月7日午後11時32分、山形市内でも3月11日の大震災並みの揺れを感じた。
 私は寝床に入って深い睡眠状態にあったらしく、何が起きているのか一瞬とまどった。また、地震と感じながら、長いと思った。
 女房はまだ起きていて、あたりを懐中電灯で照らしていた。
 電気が付かない。停電だ。
 ラジオを付けると、宮城沖で地震発生、津波に注意と繰り返しアナウンスしている。
 えっ、また津波と思わずにいられられない。1メートルの津波が来るので、高台に避難するように言っている。
 すぐ津波が来るので急いで逃げるように繰り返して放送している。
 あの時のことが痛いほど思い出されている。
 また大変なことが起きるのだろうか。なんでこんなに繰り返すのだろうか。それにしても、原子力発電所は大丈夫だろうか。福島第一原子力発電所では、この時間だって放射能漏えいを防ぐ作業が続いているのだろう。
 他の女川原発などきちんと止まっただろうか。
 そんなことが頭をよぎる。
 大震災後にマスコミから仕入れた情報によって、心配の種は尽きない。
 被災地の人たちはもっと不安でいっぱいだろう。

 30分も経過したあたりで、津波の心配もなくなったらしく報道も静かな調子に変わってきた。
 深夜に携帯が鳴った。
 娘からのメール。地震大丈夫だったか、お兄ちゃんが心配しているとの内容。本人は、夜中11時半過ぎ、地震発生時東京の街中を帰宅途中で全然揺れを感じなかったという。海外にいる兄のメールで知ったというのだ。兄が心配してメールをよこしたとのこと。

また停電

 朝になっても電気つかない。また、今日一日停電のままになったらどうしょうと考えてしまう。
 職場でも、電気ないと仕事にならない。暖房も入らず、寒いままである。
 夕方、約束がある。約束の場所は停電だったら開けているだろうかと心配になった。

 職場に向かう。信号機が止まっている。それでも、ふだんより20分早く出たのですいている。
 通勤路には14カ所信号機がある。そのうち、信号機が動いていたのが2カ所、警察官の手信号でやっていたところが1カ所、あと11カ所は止まったまま。
 コンビニも閉店の貼り紙。
 ガソリンスタンドに並んでいる車も目立った。
 あの2週間前の光景が再現され始めた感じである。

 職場に到着。正面の自動ドアはもちろんあかない。非常口より入る。
 3階の事務所に入ると、ラックの上にのせていた筆記具類が床にばらばら落ちている。 机上の書類も床にちらばっている。

 そうこうしているうちに、電気が付いた。一安心。

学校休校

 本日は、入学式を行う学校も多い。
 山形県内の学校でも休校にしたところもある。
 県立特別支援学校で3校が休校とラジオでいっている。

宮城県沖震源の海底24メートル移動

 いつになったら地殻変動が安定してくれるのだろう。
 3月11日の大震災では、宮城県沖の震源の海底が24メートル東南東に移動したという調査結果が発表された。
 そのひずみがいろいろな地殻に影響するのだろう。現在、不安定になっている所が動いているとなると、いつになったらバランスとれるような状態になるのか。
 あまりにもすさまじいエネルギーがたまっていて、それが開放されたにしても、まだ開放しきっていない部分があるのだろうか。
 人間の力ではどうしょうもない。
 それにしても、大々もつくような震災を今後にどう教訓として残すかが重要である。

 被災にあった地をなんとしてでも、すばらしい復興都市に生まれ変わらせることが必要だ。防災の集積モデル地区になるよう、オールジャパンで長期間にわたって応援することだ。

 「明けない夜はない」活動を続けてゆくのだ。
 (ケー)


【引用終わり】



 以上のように、東日本大震災によって、海底などにおいて大きな地殻変動があった。

 今回の熊本地震では内陸の活断層が動いた。

 地盤には亀裂が入り、ずれたところだった多い。そのため、家屋がつぶれ倒壊した。

 回送中の新幹線も脱線した。熊本城の石垣がくずれ、屋根瓦も落ちた。

 九州新幹線は4月28日には全線開通までこぎつけた。不眠不休の活動が功を奏した。

 熊本城の再建には日本財団が30億円もの再建資金を支援すると発表している。

 多くの協力体制によって明るい見通しを感ずることができる。もちろん、悲嘆にくれる部分が多いことは承知の上で。

 

 (ケー)

公私ともにお世話になっている愛泉会さんで、
また新しいグループホームを2か所運営することになり、
内覧会を開いておりましたので行ってきました。

まずは、午前中に天童市のGHに行ってきました。
ここは自閉性障害の人にとても配慮されたGHでした。
そして、2名のショートステイも受け入れ可能です。
GHというのは、要するに自分の家ですから、
ショートステイの人が、年中入れ代わり立ち代わり自宅に来るという環境は
落ち着かないものです。
ということで、ショートステイの二部屋は別ユニットになっていました。
うまく写っていないですが、写真も撮ってきました。

外観です。

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ショートステイの方が利用できるオープンスペース。
椅子に座っているのは、見学に来ていたMちゃん♡
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こちらは居室、6帖くらいの大きさだそうです。
クローゼットもあります。
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こちらはショートステイ専用のお風呂と洗濯場
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こちらは台所
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食堂です
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そしてここは、あまり大勢で賑やかな 場所が苦手な人のために
パーテーションで仕切ることができるようになっていました。
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二階に上がるとすぐに洗面台と、畳が敷いてある休憩スペース
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すでに荷物を運びいれている方もいました。
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このGHには、1階に2つと、2階に1つ、合計3つのお風呂場がありました。
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1階にあるトイレですが、体の不自由な方の支援が充分にできるように
とても考えられたつくりになっていました。
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トイレで失敗しても人目になるべく触れないように、
汚れた衣類はトイレのすぐ隣にある洗濯場に持っていけますし、
着替えもすぐにできるようにトイレスペースはとても広くとられていました。
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照明も、空調もすべて天井に埋め込み式になっていましたし、
消火器なども壁にすっぽり入り、余計なでっぱりがないように考えられていました。
その他にもいろいろ考えられたつくりになっていて、見学に来ていた人は
みなさんとても感心されておりました。

GHではありますが、支援度の高い方が利用することを考えると
家、というよりはミニ施設になっている感じですが、それは仕方がないかもしれませんね。
でも、これだけ考えて作られていたら利用する人も親御さんも安心かもしれません。

午後からは山形市のGHを見学してきましたが、それはまた次回にご紹介します。

ご訪問ありがとうございます。事務局(F)


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