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 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 大震災の影響で新聞の遅配があった。
 それも10日後には平常通りに回復した。
 回復力の早さに感心している。
 多くの人たちの協力があればこそである。
   


【引用はじめ】

♯地震発生から11日目=本日雨模様あいかわらず寒い

March 21, 2011 10:52

 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震から10日目(3月20日、日曜日)。
 また、新しい朝を迎えた。

 山形市内はくもり、雨模様。
 庭の雪も湿っていて、長くつであがるとずぼっとぬかる。
 雪解けはかなり進んだ。
 初春を迎えたとはいえ、まだまだ寒い。
 気持ちも晴れない。

新聞が普通に届くようになった

 宅配でくる「産経新聞」が昨日より通常どおりになった。
 今までは、一日遅れで配達されていた。
 地震発生の翌日(3月12日)は新聞が届かなかった。
 そして、13日から一日遅れで配達になった。
 仙台の印刷工場が地震で被害を受け、仙台工場が使えない。
 所沢で印刷して、それを運んでくる。
 輸送路も寸断され、ふだんと異なる迂回路を使い、時間をかけて山形まで届けてくれる。
 ここまでの誠実さに頭が下がる。
 1000年に1度の地震発生後の大混乱があっても、いろんな連携プレイの中で自分の責任を果たしてくれている。
 日本のシステムは決して壊れていない。

【引用終わり】



 関係者の誠実な対応が、新聞の遅配を元通りにしてくれた。
 元通りの配達ができるようにするという一つの目標に向かった関係者の努力のせいである。
 大震災があったのだからと遅配程度は許されると思わない。
 それこそ、新聞を届けようとする新聞屋のプロ魂である。
 日本社会の柔軟性がここに見て取れる。

 障がい者問題も多くの課題が山積している。
 でも、障害者差別解消法が明日から施行される。
 きっと日本社会も徐々に変化していくはずだ。
 障がい者受容も進展していくことだろう。
 その表れは、パラリンピックもかなり取り上げられるようになってきているから。
 楽天的過ぎるかなあ。

(ケー)
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。

 以下において、発災前に策定していた「地域における災害時要援護者の支援の手引き」(平21.4.20)について紹介している。 
   


【引用はじめ】

♯地震発生から10日目=災害時要援護者避難支援

March 20, 2011 10:58

 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震から10日目(3月20日、日曜日)。
 また、新しい朝を迎えた。

 「佐倉市災害時要援護者避難支援プラン」(全体計画)2010年(平成22年)1月29日が策定されている。
 その一部として「地域における災害時要援護者の支援の手引き」2009年(平成21年)4月20日が以下のように掲載されている。
http://www.city.sakura.lg.jp/syafuku/saigaijiyoengo/honpen.pdf
===================================================

地域における災害時要援護者支援の手引き

本 編(2)地震などの大規模災害の場合

ステップ1

 地震などの大規模災害発生直後は、誰もが災害時要援護者となる可能性があります
ので、地区代表者や支援者は、自分自身が災害時要援護者とならないために、まずは
自分の安全確保を行います。

ステップ2

 自分の安全確保ができたら、隣近所の住人や地域に住む災害時要援護者に声をかけ
あって、互いに安否を確認し合ってください。
 このとき、【情報伝達系統図】に沿って行う必要はありません。大規模な地震発生直
後では行政機関も被災していますので、すぐに情報提供が行われることは、まず不可
能です。また、地震であれば災害が発生したことは誰にも明らかですので、人からの
情報を待つのではなく、自ら率先して行動する必要があります。

ステップ3

 安否確認を行う時には、風水害の場合と同様に次に示す項目についても確認・点検
しておきましょう。

 ? その家の人が無事であるか (安否確認)

 ? 二次被害の防止のため、火の始末やガスの元栓を閉めているか

 ? 電気のブレーカーを落としているか

 ? 貴重品や薬、必要な装具などの非常持出品は準備できているか

 ? 家の外の分かりやすい所に安否情報などの貼り紙ができているか

ステップ4

 以上のことが確認できたら、災害時要援護者が自力で避難することが可能な場合を
除き、避難所への避難誘導を行います。
 このとき、必要に応じて、複数の近隣住民などの協力を得て行いましょう。
 また、土砂崩れや火災、地割れなどにより、予定していた避難所へのルートが遮断
されている可能性もありますので、地域住民同士で情報を提供し合い、避難誘導しま
す。このとき、事前に危険箇所を示した防災マップを作っておくと非常に役に立ちま
す。

ステップ5

 避難所は市が指定する避難所が基本となりますが、災害発生初期の緊急の避難場所
として、公園や地域の集会所などを一時的な避難場所として利用する場合もあります。
 一時避難をした場合、避難者同士で、安否状況を確認し、見落とした災害時要援護
者がいないか確認しましょう。
 確認した後は、速やかに市指定の避難所へ避難することとなります。

『支援チームの編成』

 地震などの大規模災害の場合、あらかじめ定めておいた支援者も被災してしま
い、支援者が不足する可能性があります。地域の助け合いネットワークにおいて、
臨時の支援チームを編成して対応することも求められます。

==============================================

 佐倉市の実情に即して地震発生直後に一人一人、災害時要援護者にどう対応するかである。
 10日もたっての情報なので今の時点ではあまり役立たないかもしれない。
 どこの地域においても、災害前にどれだけこうした知識を一般市民に周知されていたかである。
 今回は、1000年に1度の大災害によって、広域にわたって津波の災害、原発事故というのが重なった。
 そうした可能性あった地域においても、地域の実情に応じた災害時要援護者に対する支援プランが策定されていたとしても、あまりにもすごい被害が生じていて、行政側の被害も大きく、支援プランそのものが吹っ飛んでしまっているかもしれない。
 
 しかし、この手引きの中で重要な指摘が2点ある。 
? 地震発生直後は、支援者が災害時要援護者にならないようにするため自分の安全確保する。
? 地域の助け合いネットワークにより、臨時の支援チームを編成して対応する。

 今、こうした対応が被災地においてなされているに違いない。

 この地震から復旧・復興できると答えた最新のアンケート結果は、95%以上。
 絶対に復興すると信じている日本人が圧倒的だ。

 海外の人たちの多くも日本は必ず復興すると言っている。
 海外メディアでは、福島第1原発の放射能拡散を食い止めようとしている50名をFukushima50と称して英雄と誉めたたえている。

 「明けない夜はない」
 (ケー)

【引用終わり】



 大地震に遭遇して、この支援の手引きどおりに動くことができた人はいたのだろうか。
 常識的なほとんどの人がやりそうなことが書かれている。
 ステップ1、自分の身の安全確保は最優先で行ったに違いない。
 ステップ2、となり近所で要援護者の安否確認はどうだったろう。自分のことで精いっぱいで要援護者に対する対応が十分でなかったといったことはあったか。そのあたりは、常日ごろからのお付き合いがどの程度あったかで決まる。
 ステップ3では、非常持ち出し品の事前準備とか安否情報の貼り紙などが十分なされなかったかもしれない。
 ステップ4は、隣近所同士の協力体制がうまくいっていたかである。互いに気を遣った協力ができていた。
 ステップ5は、避難場所が適切だったかといった問題がある。3.11のような津波が予想外の高さになったことに対応できなかった。想像を超えたものに十分対応できなかったことが悔やまれる。

(ケー)
先日、赤い羽根共同募金会さんから配分金の決定通知をいただきました!
そこで、さっそく平成28年度の事業計画をしています。

P3242239.jpg

ひとつ、全年齢対象の事業をバーン!と決めたのですが、
ライフステージに合わせた、となっていますので、
幼児期・学齢期 とか、高齢期 などのステージに合わせる必要があります。

どんなことをしようかな~と考えていたのですが、
学齢期は「家族支援ワークショップ」をやればいいんじゃないの?
と局長に軽~く言われました(^_^;)

そうか、私がファシリテーターをやれば安上がりだもんな~と
妙に納得してしまい、やるつもりになってしまったわたくしでございます。

さて、次は高齢の本人や親御さん向けの研修を考えなくてはなりません。
開催場所も考えないといけませんよね。
ちょっと難航しております(@_@;)

どうするかな・・・・・・・


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 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。
 3.11の大震災から1週間経過した様子が以下に記している。
 山形市内の郊外の何ごともなかった風景である。 
   


【引用はじめ】

♯地震発生から9日目=支援者に感謝

March 19, 2011 09:50

湯たんぽ抱いて

 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震から9日目(3月19日、土曜日)。
 また、新しい朝を迎えた。
 真っ青な青空。
 1週間前の地震発生の次の日は、何をしていたか。
 まだ、電気がこないとぶつぶつ言いながら、ラジオに耳を傾けていた。
 テーブルには、地震発生の日の夜、灯りをとるために使ったろうそくが真っ黒な芯だけ残して置いてある。
 自宅は断水にもならず、プロパンガスだったし、ストーブも反射式の旧式のものだったので、かろうじて暖はとれる状態だった。
 湯たんぽを何十年ぶりかで押し入れから取り出し、フトンの中で抱いて寝た。

穏やかな自然は清々しい

 そして、1週間が過ぎた。
 新聞を取りに出たついでに、近くの河原に足を伸ばした。
 しばらくぶりだった。
 堅雪を踏みしめながら河原の堤防に出た。
 河川敷は一面真っ白な雪。
 河畔に何ごともなかったように水どりが泳いでいる。
 真っ青な空には、群れをなして鳥が舞ったかと思うと遠くへ飛び去っていった。
 北西には真っ白に輝く月山、葉山、そして南東方向には蔵王の峰々が黒い影を帯びてそびえている。
 穏やかな自然は清々しい。
 しかし、あの1週間前の地震によって、津波を引き起こし、科学の粋によってつくりあげた原子力発電所も含めて、大災害を東日本一帯にもたらした。

日本の命運がかかっている

 今現在、福島第1原子力発電所の原子炉の暴走に立ち向かっている消防署員、自衛隊員、警察、東電の職員たちがいる。
 19日の未明に冷却水を放水したおかげで放射線量が低下したというのだ。
 「放水作業は3号機の使用済み核燃料貯蔵プールの水位を上げるため、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が19日午前0時半から1時10分にかけて実施した。」(MSN産経ニュースより)
 危険を顧みず、危険をおさえるために、その危険と闘っているのだ。
 言葉だけで、命がけなんて簡単に言う人たちが多い中で、本当に命がけで立ち向かっている。
 日本の命運がかかっている。
 その人たちが命運をかけて闘ってくれている。
 本当にありがたい。

 「明けない夜はない」
 今、地震被害のために支援をしてくれる人たちがいるからこそ可能になるのだ。

【引用終わり】



 一番の心配は、原発事故のことである。
 今もって心配は尽きない。
 廃炉に向けた取組は、いつまで続くのだろう。
 現場は退却の続く負け戦の感に近いかもしれない。
 でも、これはなくてはならないことである。
 必要な事である。
 かつて敗戦から立ち直ったこともあるのだから。
 なんとかなる。
 いつかは故郷を取り戻せる。

(ケー)
山形県立村山特別支援学校のPTAだより「きずな」を送っていただきました。

P3282241.jpg

生徒数が増えてきて、これまでの校舎では狭くなってしまったので
新しい校舎もできました。

P3282244.jpg

学部ごとの修学旅行の記事や、
卒業生に贈る、先生方からのはなむけの言葉などもありました。
P3282242.jpg


児童・生徒の皆さんがいきいきと行事に参加している写真が沢山ありました。

学校時代、親としては悩みなどもいろいろあるとは思いますが、
いざ卒業してみると、学校にいる時期って親の気持ちは
結構安定していられる期間だったな~なんて感じたりします。
今しかない学生時代を充分に満喫して欲しいと思います!


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 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。
 あの当時、東京電力福島第1原子力発電所がどうなるか、日本中が心配した。
 今、廃炉に向けて沢山の人々が取り組んでいる。
 産経新聞(28.2.16)によれば、福島第1原発構内区域では、放射線量が低下し全面マスクの装着必要なくなっている。ただ、原子炉建屋周辺は線量が高い。廃炉完了まで計画通りに行って最大40年の歳月を要するという。

 以下、原発が暴走しないかといった当時の不安が述べられている。 
   


【引用はじめ】

♯地震発生から8日目=放射能汚染さけてください

March 18, 2011 09:40

原発の暴走を食い止めて

 東京電力福島第1原子力発電所がどうなるか、放射線量の放出が上昇しているのか、下降しているのか、現状維持の状態にあるのか。
 私たちには、わかりにくい。
 体に影響を与えるほどのことがありません、ふだんあびている程度のものです。
 飛行機に乗ったときあびている量と比較しても少ない量です。
 レントゲン検査するときよりずっと少ない放射線量です。
 そうしたことを繰り返し報道している。
 安心させるための内容なのだろうが、それを強調されればされるほど何か隠しているのでないかと、疑心暗鬼な気持になる。
 ただ、私たちは、あの原発の何号機か知らないが、大爆発を起こして放射能が拡散して大事にいたることがないようにと祈るだけだ。
 原発の暴走をなんとしてでも食い止めてほしい。
 なにがなんでも。
 そのために、命がけの作業をしている人たちがいる。
 いつもはないがしろにされてきた自衛隊員の方たちに申し訳ない。
 防護服を付け、ヘリコプターに乗り込み、上空から原子炉めがけて放水して冷却しようとしている。
 放射線が危険水域に達している上空での危険な作業だ。
 でも、あなた達にお願いするしかないのだ。
 自衛隊を暴力装置といってさも偉そうにしていた官房長官もいた。
 今は許してほしい。
 予備役の自衛隊員を招集しようなんて言い出した首相。
 以前だったら絶対に言いそうにもないことまで口に出すようになった首相。
 国民も目覚めている。首相だったら、市民という言葉を使いそうだが・・・・
 そんな皮肉を言ってみたところでなんの解決にもならない。
 自衛隊の皆さん、あなた達に任せるしかない。
 困ったときの自衛隊頼みと言われようがそうするしかない。
 なんともしても食い止めてほしい。

 放射能汚染されて新たな障がい者を生み出すようなことだけは避けなければならない。
 震災で失くした命は戻ってこない。
 それは確かだ。なんとしても悲しい。
 今まで築き上げた財産も簡単には戻ってこないだろう。
 土地ごとさらわれた地域だって、土地そのものが水没してなくなっている所もある。
 こんな失われた多くの物があることは確かだ。
 しかし、それより恐いのは放射能汚染されて何年にもわたって危険地帯として烙印を押されることである。
 また、二次的被害として次の世代まで障がいが残ってしまうようなことがないか心配なのだ。
 いつまでも、その恐怖を引きずりながら生活を続けなければならないことである。
 あらゆる可能性を信じて、現場では命をかけた戦いをしている。
 私たちも固唾をのんでみている。
 私たちにできることはこれしかできない。
 暴走する原発を目の前にして、最前線で戦っている自衛隊員のみなさんはじめ、不眠不休でがんばっている人たちにしか、頼れる人はいない。

「明けない夜はない」

 私も冷静になろう。
 今朝も、通勤途中はガソリンを求めるクルマで1車線にずらっと列をなしている。
 本日は、2カ所の給油所が開けるのかなあ。

 道路は圧雪凍結状態。
 スピードもゆっくりめ。

 本日より、育成会事務局のあるビルも暖房は11時まで。さらに短縮される。
 ボイラー用の重油の手当がつかないという。
 防寒用毛布を持参してきた。
 避難所生活している人に比べれば、ぜいたくいえない。

 そうだ、あらためて「明けない夜はない」。
 今日で地震発生から8日目。
 (ケー) 

【引用終わり】



 現代にあって、電気に頼った生活である。電気がなければ基本的な生活が破たんする。
 原発事故によって、その危機を味わった。
 エネルギー源は何に頼るのがいいか。
 効果的で安全性を踏まえた選択が今私たちに突き付けられている。
 将来に禍根を残さない選択である。

(ケー)
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。
 あの3.11から8日目の自宅の周辺の様子と心情を綴っている。
 以下の記述は、雪かきしたり、車のガソリン不足の心配だったり、被災地の避難所生活に対する思いである。
   


【引用はじめ】

♯地震発生から8日目=放射能汚染さけてください

March 18, 2011 09:40

今朝も冷えた

 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震から8日目(3月18日、金曜日)。
 また、新しい朝を迎えた。
 トイレの水も凍っていたらしく、すぐ水が出なかった。
 ずっとプッシュボタン押し続けて、ようやく「かつかつ」と出てきた。
 今日で地震発生から1週間になるんだ。
 部屋の気温は、氷点下。
 山形市内は、新雪が10センチ以上積もった。
 ほとんど消えかかっていた雪が、また雪野原状態になった。
 庭の雪かきが朝一番の仕事だ。
 車庫の前も雪かきした。
 通勤のクルマのガソリンもいつまで持つだろうか。
 ガソリンを求めて、スタンド巡りといったガソリン難民になりかねない。
 スノーダンプで雪を片づけるのも固くて重い。

避難所生活もつらい
 
 被災者にとって避難所生活もつらい。
 何もかも失ったつらさもあるが、今どうやって寒さをしのぎ、食料や水を確保するか。 トイレの心配もある。
 入浴できず、下着だって取り替えることができない。
 生活が思うようにいかないことへのいらだちもピークにきている。
 目の前のことで一日一日をどう過ごすかで精一杯だ。

【引用終わり】



 山形市内では、曲がりなりにも今までの生活を続けることができている。
 雪が降ったりして雪かきをしなければならない。
 こうしたことは、毎年のことである。
 ガソリン不足は今までになかったことではあるが。
 被災地の避難所生活は、みんな突然のことで何が何だかわからない混乱の極にあったはずだ。
 5年たった今だって、受け入れがたいに違いない。
 もう5年というより、まだ5年の心境だろう。
 障がい者には、相当につらい日々が続いてきた。
 平穏な日常を取り戻す努力が続けられている。
 そうした努力の数々に心から拍手を送る。

(ケー)
ここに書こうかどうかずいぶん悩みました。
書くこともなかなか難しいことでした。

それでも、同じような子がいると悪いから
名前を出さなければ、今回のことをみんなに教えてもいいよ。
と言ってくださった親御さんの思いもありましたので、
思い切って書くことにしました。

5gatu1niti (3)

障がいが重ければ思いなりの悩みがあり、
軽ければ軽いなりの深刻な悩みがあります。

私の次男のように重度の子を持っている親にとっての悩みは
おおざっぱに言えば、本人の辛さをどう理解してどう軽減することができるか
ということだったりします。

でも、障がいが軽い子の親御さんの悩みはまた違いました。
恋愛や結婚に興味や憧れを持っている。
携帯電話やタブレットの操作をいとも簡単に(親よりも詳しい)覚えてしまう。
興味のあるアプリを入手して、親の行動範囲よりも広範囲の人と繋がってしまう。

先日、私に相談の電話をくれた方のお子さんもまたそんな軽い障がいの子でした。


「知る見る」で知り合った。
タブレットのアプリで友達になった。
「知る見る」で友達になった少しお姉さんに紹介してもらった。

こんな風に3通りにとれる理由がありましたが、
知り合った男性に会いに行くことにしたということです。

近くに住んでいるわけではありません。
電車で〇市までいく。
車で近くまで迎えに来てくれる。

2人で会うというと、親にダメと言われると考えたのか
親が知っている女の子の名前が何人か出てきています。
泊まってくるかもしれない、とも言っています。

つじつまが合わない話もぽろぽろ出てくるようでした。

お母さんも気が気ではなくなってしまったようです。
人を好きになる気持ちや結婚にあこがれる気持ちは尊重したい。
でも、その気持ちを利用されて騙されてしまうことも心配だ。
それに女の子です。悪い事件に巻き込まれてしまうことも心配。

そんな悶々とした気持ちの時に私に電話をくれました。
「知る見る」で知り合ったとしたら私が相手を知ってるかもしれない、
誰でもかれにも相談できる内容ではないと、私を思い出してくれたようでした。

私も大したお役には立てなかったのですが、
急きょ、知的障害者福祉協会さんにもご協力をお願いしました。
とりあえず「知る見る」に参加した人の中で車の運転ができる人は限られていましたし、
聞いた名前は参加メンバーにはいない事と、その人が住んでいる地域では
まだ「知る見る」はそれほど浸透していないということから、
どうも障がいのある人ではないかもしれない、という感じでした。

その事実をお母さんに伝えました。
どう対処するかを電話ではなしましたが、
わが子の気持ちをなるべく傷つけること無く
わが子を守らなくてはならないと腹をくくったお母さんの行動
さすがに親ならではのことだったと思います。
(どんな方法だったかをここに書くことはご勘弁ください)

そして、なんとかお子さんを納得させることができて
その男性と会うことをあきらめてもらったようでした。


先日の本人のお金のリスクの研修会の中でも出てきましたが、
知的に障がいがあることを利用して、だまして金を巻き上げようとする
「デート商法」なるものがあります。
本人がその人に会いたい、お金をあげたい、
何かを買ってその人のためになりたい、と本人が言っているのだから、と、
本人の希望なのだから支援する、というような事が意思決定支援なのか?
というように「苦笑」してしまう話もでておりました。

今回のことがこれだったのかどうかは解りませんが、
こんな犯罪に巻き込まれないように本人を守ることも親がいなくなったら
どうすればいいんだろう、という思いが頭をよぎってしまった出来事でした。

親としては子どもが傷ついてしまわないように気を付けたいと思うできごとです。

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 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。
 あの当時、3月に発行する予定だった会報が、予定通り発行できなかったことを思い出す。
 原稿も仕上がって、レイアウト等の編集も終わり、印刷屋にお願いしてあった。
 ところが、突然の3.11大震災。
 印刷工場は突然の大震災に見舞われ、印刷機等を動かせなくなった。
 そのおかげで、仕事の段取りが大幅に狂ってしまった。
 予想だにしない状況に見舞われたということである。
 以下、そのへんの事情が述べられている。
   


【引用はじめ】

♯印刷屋も新聞配達も大変 March 17, 2011 11:36

印刷屋の仕事も遅れて大変だ

 昨日(3月16日)の午後、いつもお願いしている印刷会社の営業マンが育成会事務局に来た。
 昨日(3月16日)まで納品予定の本育成会会報「手をつなぐ親たち第33号」がまだ仕上がってないということだった。
 地震の影響をもろに受けた。
 地震で印刷機が損傷したわけではない。
 地震の時には幸いにも稼働していなかった。
 揺れがくれば印刷機が自動停止するようになっている。
 それでも、その後停電でコンピューターも、印刷機も動かすことができず、まる二日間仕事にならなかった。
 年度末のため多くの仕事を抱え、計画にしたがって順番どおりやっていたが、思いもよらない大震災が起きた。
 それで、停電後、フル回転で仕事にはげんでいるという。
 3月18日(金)に、県育成会では研修会を予定していた。
 そのおりに、参加者に会報を配布予定だった。
 しかし、研修会が地震のせいで中止になった。
 だから、会報は来週中でもかまわなくなった。
 印刷工場もこの3月を過ぎると、仕事も極端に減るらしい。
 今後、地震発生の影響で紙の調達も難しくなる。
 在庫がある分で今のところ何とかなっているのだが、これがなくなればどうなるかわからないという。
 特殊な紙は簡単に手が入らなくなっている。
 印刷機というのは紙がちょっとずれても印刷はおしゃかになるという。
 仙台にある印刷工場などは、きっと地震の大揺れでなにもかもだめになっているだろう。

【引用終わり】



 あの時は、何もかも計画どおりにはいかなくなってしまった。
 3月末の会議も全てキャンセルだった。
 その連絡で大慌てだったことを思い出す。
 でも、被災地に比べたらこの程度に過ぎなかったのである。
 被災した人は、身近な人が亡くなり、住む家が流され、全財産も失った。
 故郷に住めなくなってしまった人までいた。
 避難所で日々を過ごす人たちであふれていた。
 日々、炊き出しの食事だったのである。
 あの時、これからの生活に対する不安ももちろんあっただろうが、身近な人が亡くなり、行方不明になった人の心配で頭がいっぱいだったろう。
 5年たっても、気持ちが癒されることはないに違いない。

(ケー)
 東日本大震災から5年がたった。
 発災当初の山形市内の状況について、本ブログに記述した今までの内容を再録している。
当時の差し迫った不安や希望を以下に述べている。
 雪が降り、原発事故に対する動き、そして年度末卒業生に対する期待感など織り交ぜた感想である。
   


【引用はじめ】

♯地震発生から7日目=想定外の復興に向けて( March 17, 2011 09:13)

平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震から7日目(3月17日、木曜日)。
 また、新しい朝を迎えた。
 山形市内は、こまかい雪が降り続いている。
 名残雪なんていう唄に出てくる情緒的なものでない。
 本格的な降り方になっている。

原発の暴走を食い止めようと命がけで取り組んでいる人たちがいる

 さらに、原発近くにいる人たちは、もっと不安を抱えている。
 緊張しっぱなしで少しでも情報を得たいという気持でいっぱいだろう。
 がれきの中でまだ収容されない死亡された方も、雪に見舞われたままになっているに違いない。
 一刻も早く捜索の手が入って、探し出してほしい。

 現場に働く人たちを信じるしかない。
 特に、原発の暴走をなんとか食い止めようとしている、命がけで取り組んでもらっている人たちがいる。
 多くの人命を守るために、東京電力、自衛隊、警察機動隊、消防等、犠牲を顧みず立ち向かっている人たちに心からの尊敬と敬意を表す。

想定外、想定以上の復興に向けて

 すべて1000年に1度の人智を越えた自然災害のなせる業である。
 想定外のことがたくさん重なった結果が、今の状況にある。
 しかし、そうだとしてもこの運命を甘受し、さらに我々一人一人の力を合わせて、想定外の復興に取り組むしかない。
 これだけの自然災害による打撃を受けたことを乗り越えることができれば、想定外のすばらしい結果につながるはず。

 被災した中学校の卒業式を迎えようとしている校長がテレビのインタビューに答えていた。
 この復興に10年かかるだろう。
 卒業するこの中学校の生徒たちも、10年後にはりっぱな成人である。
 卒業生たちも地震からの復興に向けて、少しでも力を尽くすことを期待しているというエールであった。

 山形市内の雪はますます強くなっている。

 今朝も明けた。
 やはり、言葉どおり、明けない夜はなかった。
 今頑張れば、明日の頑張りをまた生み出す。
 それしか、解決の道はない。
 (ケー)

【引用終わり】



 想定を超えた大地震を乗り越えるには、5年では足りない。
 これからもう5年かかりそう。
 いやそれ以上の年月がかかるかもしれない。
 でも、やり続けていく。
 いくら年月がかかろうとも。
 それが、日本人。がんばれ、東北を合言葉に。

(ケー)

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