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夫が所属しているライオンズクラブで
先日、山形放送の芳賀道也アナウンサーを
講師に招いて研修会を行ったようです。

そこで今話題の(ちょっと前かな
山形方言かるた
自主的に買わされてきたようです



箱の前面には「じょんだずね 犬の名前もジョンだずね
と読み札が印刷されてありました

山形県内では、村山弁、置賜弁、最上弁、庄内弁と
大きく4つの地域の方言があり、
村山地区に住んでいる私などは
庄内弁や、置賜弁を聞くと同じ山形県民なのに
時々理解できない言葉もあったりします。

かるたには、かるたに採用された句と標準語の一覧表も
附いてきたのですが・・・


ちょっとボケていて読みにくいですね


同じ村山弁の中でも知らない言葉などがあり、
面白く読ませてもらいました。

そこで、ふと思ったのですが・・・
ウチの息子が在籍していた養護学校は
最上地区の新庄市にありました。

ウチの息子は発語はありませんが、学校の先生方はみなさん
「私たちが話している言葉は、ほぼ理解しています」
とおっしゃってくださいました。

週末は、自宅で過ごすので「村山弁」
先生方は最上地区の方が多いので、平日は「最上弁」
でも、担任の先生の実家は庄内地区だったので「庄内弁」
先生方も結構方言で子どもたちに話しかけています

おっという事はウチの子は、3種類の方言を聞き分けていたのか?
と考えたら、なんだか楽しくなってきました。

出来ない事はた〜くさんありますが、
出来る事だってた〜くさんあるのです(たぶん
特に、記憶力にかんしては凄いものがあります。

出来ない事をウダウダ考えて落ち込むより
出来る事を見つけてその部分を褒めてあげたり
伸ばしてあげる方が、本人も我々も楽しく過ごせますよね

なんだか、最近落ち込むことも多かったのですが
ちょっと元気になった出来事でした(F)




 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から1年と28日目(平成24年4月7日、土曜日)。
 また、大震災発生から1年と28日目の新しい朝を迎えた。

 早朝の山形市内、景色が一変。
 一面、雪野原。夜半に雪が降った。本格的春が来るまで一進一退。こんな風景を見ると春は遠いと思ってしまう。

 福島県の避難生活を続ける本人たちも、春はいつくるのだろうと思っている。

 社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会が発行している、みんながわかる新聞「ステージ」2012年春号(No.61)に、次のような記事(p.6)が掲載された。
    
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【引用始め】

 東日本大震災

 早く福島へ 帰りたい!
 避難生活を続ける 福島の本人たちを訪ねて

 東日本大震災から1年がたちました。
 しかし、今でも震災前に住んでいた地域に戻れず、
 避難生活を続けている人がいます。
 今回は、福島第一原発事故の影響で群馬県に避難している
 「本人の会・ぴぃす」の皆さんに話を聞きました。

 これまでの避難生活

 3月11日に東日本大震災が 起きました。
 そして、福島第一原発の 事故によって多くの放射能が 空気中にもれました。
 その結果、原発から20キロにある 地域の人たちは 避難することになりました。
 福島県富岡町にある 社会福祉法人「友愛会」を 利用していた知的障害のある本人、
 支援者たちのあわせて76名は、すぐに避難をはじめました。

 震災の次の日に、富岡町から 約45キロはなれた三春町の
 「さくら湖自然観察ステーション」 という場所に避難し、
 約1カ月間、そこで生活しました。
 放射能の影響で 洗濯物を干すことができず、
 外にも出られない生活でした。

 そのあと、避難してきたのが 群馬県高崎市にある 「国立のぞみの園」です。
 ここは国がつくった 大きな入所施設で、富岡町から 約210キロもはなれています。
 前の避難場所にくらべて 放射能の影響も少なく
 外出もできるし、やっとふとんで 寝られるようになりました。
 しかし、国立のぞみの園は 山の上にあるので、
近くにスーパーや コンビニもありません。
 働く場所もありません。

 「早く福島でくらしたい」
 「しせつの共同生活は 自分の時間がなくてつらい」
 「自由に買いものに行ったり、本人の会のイベントがしたい」
 「施設に入所していたころに タイムスリップしたみたいだ」
 「前みたいに、ひとりの部屋でくらしたい」

 もともと地域で暮らしていた 皆さんにとっては、とてもつらい生活です。
 いつ「国立のぞみの園」から出て、地域で生活できるようになるか わかりません。

 自分らしい生活を とりもどしてほしい

 「本人の会・ぴぃす」の皆さんは、福島に帰ったら
 まずは役員会をひらいて、もう一度本人活動をしたいそうです。
 そして、震災前のように 勉強会やイベントをして
 たくさんの人と 交流したいと思っています。
 とくに、皆さんが口にするのは
 「福島の育成会全国大会で いっしょにがんばった 県内の仲間たちにあいたい」
 ということ。
 やりたいことはたくさんあります。
 避難している皆さんが 自分の望む場所で、自分らしく生活していけることを、
 『ステージ』は これからも応援したいと思います。

【引用終わり】

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 東京電力福島第一原子力発電所事故で富岡町の施設の利用者は、今も避難生活を余儀なくされている。
 仕事がない。買い物できない。一人になれる場所がない。
 今までの生活が180度変わった。
 いつまで続くかわからない生活を強いられている。
 一日でもはやく富岡町に帰れるようにしてほしい。
 それがみんなの望みだ。
 富岡町に帰れる日が来てこそ「明けない夜はない」となる。
 きっとなる。のぞみ捨てずその日まで待とう。
 原発事故の解決に向けて多くの人たちが努力してくれている。
 解決に向けた道筋は一進一退。困難を極めている。長い長い道のりになりそうだ。原発にとってまだまだ春は遠い。
 それまで、「国立のぞみの園」で支援者のみなさんと今ある生活を充実する工夫をしてほしい。
 今の生活を大事にしてほしい。
 (ケー)

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