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全日本手をつなぐ育成会の機関紙「手をつなぐ」12月号が届きました

今月号の特集は、はざまのいろいろー知的障害を考えなおす
ということで、発達障害のある方や、障害の有無が明確に確認できないけれど、
生きづらさを抱えている人についての特集です。


そして、今月の「ふれあい交流通信」には

本人向けの「防災ハンドブック」を作ろうin山形
ということで、メンバーの中から
ワークランドべにばなの高橋浩之さんと、ぶどうの家の高橋亮雄さん
の記事が掲載されています


防災会議で、実際に被災地を見学して来て感じた事や、
ハンドブックを作るに事について書いています。


「手をつなぐ」を購読している方には準備ができ次第発送いたしますので、
お手元に届きましたら是非読んでみて下さいね(F)
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から265日目(11月30日、水曜日)。
 また、大震災発生から265日目の新しい朝を迎えた。

 第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第1分科会」(10月16日)において、福島県相馬市の悲惨な状況報告があった。周囲3キロの集落に459人もの犠牲者が出たというのだ。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日〜16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第1分科会(10月16日) 【その15】 「災害と備え」(知的障がい者の防災基盤整備)
協議

 せいぜい100年で風化している

 【発言者】 ○私は福島県相馬市手をつなぐ親の会の会長です。
 相馬市では459人の犠牲者が出ました。犠牲者の多くはごく限られた地域においてです。その範囲は、海岸部は7?の中の、人の住んでいる集落3キロくらいのところです。そのところに459人の犠牲者が出た。ここは私の出身地です。小学校からずっとそこで過ごしました。私の家は6号線バイパスから500mくらい山側だったので、何にもなかったんですが。津波は6号線バイパスのところで止まったものですから。
 100m内で15人ずつくらいの人が亡くなった計算になります。私と同じように育った同級生とか、知り合いなんかが犠牲者のうちに入っています。犠牲者が出たのは、北の方から原釜、尾浜、松川浦、磯部という集落地なんです。そこにすぐには行けませんでした。行くと悪いような気がして。私は13日、3日目になって初めて原釜地区に、ヘドロをかき分けまして朝早く山伝いに様子を見に行きました。
 高台のところから下を見ますと、火災によって自動車が20台くらい丸焦げ、その周辺が真っ黒になっておりました。ずっと辺りを見てみますと低地の部分には木造家屋は一軒もありません。スーパーとか鉄骨の残骸は2、3箇所ありましたけれども、それ以外はほとんど何にもありません。高台の方には浸水した家が見えていました。
 それを見た時に私は同情というのではなく、こんなに多くの犠牲者を出してしまって、大変だなあと思うしかなかった。悲惨な現実を見てしまって、障がい者とか障がい者でないなんてそんなことひとつも考えませんでした。
 障害の犠牲の割合は、知的障害者の方が3名、身体障害者が10名、精神障害者が3名。全体から見ると比率がうんと低いんです。それは福祉施設というのは津波の影響のなかった町の方にあります。私が理事長をしているスマイルセンターという社会福祉法人も被害はありませんでした。そこの子ども達も送迎バスにより送っていったのですが、どうしても交通止めで行けない。消防の方にストップかけられたので戻ってきました。4人くらいは施設の中に泊めて次の日帰しました。
 津波による犠牲者は障害があるとかないとか関係なかった。100m行ったら15人もの犠牲が出たのですから。集落全部がやられてしまった。そうした時に考えたのが防災の備えさえしておけばこれが5分の1、6分の1、10分の1になったかも知れない。なぜならば地震が起こったのが2時46分頃でしょう。それから津波が来たのが3時30分くらいです。その間いっぱいあるわけでしょう。それで海のことを知りつくしている人達は十分余裕ありますから自動車片づけたりしながら、津波がきたなということで、悠々と高台に逃げているわけです。
 ところが亡くなった方というのは皆さんどうしていますか?津波来た時に。今までそういう経験がない。一番大きな津波でチリ地震津波といって、昭和35年頃です。あの時は1mちょっとくらいの津波が相馬に来ましたけれども、それ以外ないんです。南海地震でもせいぜい50センチとかその辺なんです。バーっと増えてくるとかの経験がない。
 ところがよく調べてみますと、700年くらい前に大きな津波があったという文献が残されているのが分かったんです。あるいは江戸時代の中期くらいにもちょっと大きいのがあった。これは三陸でもどこでも同じです。だからそのくらいの周期でくる。ところが私達が覚えて次の人に伝えるというのがせいぜい100年で風化するでしょう。だから来ないんだと思ってしまう。
          
【引用終わり】

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 津波によって多くの犠牲者を出してしまった。この教訓を後々まで語り伝えなければならない。これがいま生きている私たちの努め。
 600年周期でM9.0規模の大地震に襲われているのが日本列島。
 常日ごろからの備えによって減災に努めてさえおけば、「明けない夜はない」とつらい状況を突破してゆけるはず。
 (ケー)
前回につづき、身体障害者手帳についての説明です
今回は、身体障害者手帳についての課題です


課題1
身体の状態に波があると手帳がもらえません。
起きるのが辛いほど状態が悪い時もあるが、普通に起きられる状態のときもある・・・という場合は手帳の対象になりません

課題2
対象になる体の部分(内臓)が細かく決まっています。
内臓の種類によって手帳がもらえない場合もあります

課題3
基準に少しでも合わないと手帳の対象になりません。
たとえば・・・
聞こえのレベルが70デシベルは手帳の対象ですが、75デシベルでは対象になりません。

山形県のホームページへリンクします

詳しく知りたい方は、市町村窓口の福祉課へお願い致します(F)
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から264日目(11月29日、火曜日)。
 また、大震災発生から264日目の新しい朝を迎えた。

 第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第1分科会」(10月16日)で、型どおりの避難訓練がなされていたし、名のみの防災連絡会もあった。しかし、形式だけのものだったので、実質上大震災の際に役立つものでなかったと、次のような発言があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日〜16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第1分科会(10月16日) 【その14】 「災害と備え」(知的障がい者の防災基盤整備)
協議

 防災連絡会は名のみで何をすべきか決まっていなかった

 【司会】 ○個人のつながりがこういった時には力になるということで、育成会の会員のつながりをもっと広げて強めていく必要があることを実感したところです。ぜひ理事長さんから先頭に立って頂いて育成会の会員の拡大、活性化ということで今後もよろしくお願いしたいと思います。
 第一分科会の知的障害者の防災基盤整備というテーマがあるわけですけれども、うちの施設ですけれども、当時地震が起きまして、これまで経験したことのない大きな揺れでした。避難訓練の通り、机の下に身を隠すということは出来ました。それは避難訓練が役に立ったわけです。じゃあその後どうするというのは全く想定してないんですよね。
 余震が続いて机の下から出れないという状況でしばらく経ちました。とりあえずまずは家族に帰そう、家に帰そうという意識が働いて、自宅の方に施設の車で送り届けたという状況でした。信号が全て停止していました。右折はなかなかできないというような状況で、すべて送り届けて、施設の車が帰ってきたのが午後6時半過ぎでした。
 皆さん帰りましたということで、それを確認して職員もみんな自宅に帰って家の状況もしっかり見てね、ということで解散しました。
 その後言われましたのが、実は隣に別法人の特別養護老人ホームがありまして、何カ月経ってから、助けにきてくれなかったよねということでした。やはり特別養護老人ホームなので停電になって大変厳しい状況になっていた。
 助けにきてというよりも一声かけて欲しかったということだと思うんです。
 そういった意味でも今まで色んな発言がありましたけれども、ネットワークというのは防災連絡会なんてという名称だけはあったんですけれども、特別こうしましょうということは全く決まっていません。機能しなかったなあということを反省しております。
          
【引用終わり】

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 災害時に機能する避難訓練をやっておくこと、それも単に自分たちの施設だけでなく、地域をまきこんでやっておく。それが、いざという時のためになる。「明けない夜はない」と困難に立ちむかう力になってくれる。
 (ケー)
青森県には、本人の会として「レインボー青森」という会があります。
その「レインボー青森」さんで発行している会報を送っていただきましたので、そこから記事をご紹介させて頂きます。

10月15日〜16日に行われた「育成会東北ブロック大会」で第4分科会の話題提供者として参加してくれた、レインボー青森の会長 外川晃市さんが、東北ブロック大会に参加してくれた感想を書いてくれています。

ここから引用

10月15日から、16日に東北ブロック大会、山形県に行ってきました。
今回は、災害についてと言う事で、沢山の各地の東北の皆さんが来てくれました。
アトラクションでは、いちょうの家のいちょうあばれ太鼓を見ました。私は、ネブタの太鼓をやっているので見た時は、「迫力あるな」と感じました。
そして、佐藤正宏さんの講演を聞きました。とても良い講演だと思いました。
2日目は、午前中は本人の会の第4分科会「本人活動と防災学習」で、話題提供者として私は、レインボーの活動のことを発表し緊張しました。その後は、岩手県NPO法人ハックのいえの障子上さんの発表がありました。
福島県のスタートラインの添田さんは、モニターで地震直後の紹介して分りやすかったです。
みんなそれぞれたいへんだったと感じました。
山形県で情報聞けてよかったです。来年は宮城県なのでまたいきたいと考えています。
ここまで引用


他には、本人による本人のための相談会の話題や、全国大会へ参加した方の感想、青森と八戸にある支部の合同レクリエーションについて、各支部の行事予定なども書いてあり、盛りだくさんです。

それに、この会報もレイアウトからいろいろ本人さん達が関わって作られています。
本当にすごいな〜と感心してしまいます。

本人の活動が活発ではない山形県からみると、本当に青森県の皆さんは活発に活動をしていて、素晴らしいです。
山形県でも、今、本人による防災会議を継続して行っていますが、この本人活動をもう少し発展させて、本人による活動を活性化していかなくてはならないのだと思います(F) 
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から263日目(11月28日、月曜日)。
 また、大震災発生から263日目の新しい朝を迎えた。

 第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第1分科会」(10月16日)において指名された全日本手をつなぐ育成会理事長は、全日本育成会の東日本大震災支援ついて次のように語った。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日〜16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第1分科会(10月16日) 【その13】 「災害と備え」(知的障がい者の防災基盤整備)
協議

 【司会】 ○ありがとうございました。入所型の機能が避難所としても役に立ったという、示唆に富んだ内容でありました。色んなご発言の中に共作連が積極的に活動をされていた中で、育成会の存在感がイマイチ見えなかったのではないかというご指摘も頂いたわけです。
 それから秋田では連合組織を作ったということで、何かあった時にはそういった障がい者団体、当事者団体等が連携しながら対応出来るような体制をこの震災をきっかけに構築を始めているとお話があったわけです。
 全日本手をつなぐ育成会では、どういった対応をされているのか、お聞かせください。理事長さんいかがですか?

育成会に震災対策本部を設置

 【全日本手をつなぐ育成会理事長】 ○全日本の理事長をしております北原守です。この3.11の大震災が起きまして私達がすぐさま組織したのはまず育成会そのものに震災対策本部を設置いたしました。併せて一つはJDFの関係団体が集まった組織がありました。もう一点は、多分、福祉協会、施設関係の皆さん方はJDFに入っていませんので育成会あるいは福祉協会あるいは発達障害、そういったメンタルな人達の11団体で対策本部を作りました。実質的には育成会そのものの対策本部。11団体の対策本部。それからJDFというのがありまして、その中で私共がやったのはまず11団体の皆さん方における情報交換と物資の補給については、11団体を通じて福祉協会の千葉県の施設を拠点にして全国から物資を集めてそこから被災地に物資を提供した。
 それから人的な支援については、11団体でやりまして、宮城県に11団体の本部を設けました。そこで人的な支援としては、宮城県を中心にしてやったということです。特に育成会は施設関係ではありませんので、実際には育成会の皆さん方の会員名簿を中心に、個別に安否確認やこの震災におけるニーズの調査等々をやりました。そしてそれに対応するということで、特に8月は子ども達が夏休みに入るので、その余暇とかあるいは夏休みの対策として様々なイベントを企画しました。そこに全国の育成会の会員の中から支援部隊を作って入って頂いたということです。

1億円の義援金集まる

 なお義援金については、それぞれの団体が、それぞれの団体に向けてお金を募って、そして現場に提供してきたということです。育成会も全国に呼び掛けて、金額は約1億に近い現金が集まりました。そういったものを岩手、宮城、福島の被災県の皆様方を中心に義援金を配分したということでやって参りました。

長期にわたる支援を覚悟している原発問題への対応

 9月に中間的な状況を把握した時に、福島の原発問題が大きくかかわってきました。この問題は、長引くであろうと。地震や津波の問題が対応出来たとしても、原発の問題は長引くということで私共としては育成会の対策本部を拡大いたしました。そして実際に被災地の皆さん方の声も聞かせて頂くということで関係の県から対策本部にもメンバーとして来て頂いてほぼ毎月会議をやりながら対応をしています。
 特に原発の問題は長引くということを考えてますので、改めて資金的な援助あるいは人的な援助といったものが必要であるとすれば、再び全国の育成会の会員の皆様方に呼び掛けて対応していきたいと考えております。
         
【引用終わり】

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 全日本手をつなぐ育成会では、東日本大震災支援として、直ちに対策本部を設置し、関係団体との連携を図ってきた。また、現地対策本部においては人員も派遣し、被災県には直ちに義援金も配分した。こうした働きかけは被災者に「明けない夜はない」と勇気を与えることができたはずである。
 (ケー)
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から262日目(11月27日、日曜日)。
 また、大震災発生から262日目の新しい朝を迎えた。

 第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第1分科会」(10月16日)の助言者は、入所施設を地域の人びとに避難所として開放し活用したことを、次のように語った。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日〜16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第1分科会(10月16日) 【その12】 「災害と備え」(知的障がい者の防災基盤整備)
 助言

入浴中、裸のまま食堂のテーブル下に避難

 司会 ○続いて、お願いします。

 助言者 ○私のところは入所の施設です。当時入所利用されていた方が69名。75名定員です。新体系に移行して65名の定員にするため、当時は69名の方が入所しておりました。 施設自体は高台にありました。地震の揺れによる被害等はほとんどありませんでした。津波の影響もなく施設自体は特に変わりがありません。ただ当時2時46分という時間は利用されている方が、日中活動の時間でした。
 施設は3つの棟で運営されています。比較的障害の軽い方々が男性・女性と分かれている、男子棟、女子棟。あとは増築した部分に、重度の方々が男女混合でいる重度棟。3つそれぞれ分かれて活動している。女子の利用者は作業の時間でありました。
 男性の方々はちょうど入浴の時間でした。女性の方々は職員もそばについて、女性ですので結構泣いたり騒いだりする方がおりました。テーブルの下に避難するように話してもなかなかそれも出来ない。職員にしがみついているという状況の方もいました。職員がそばに付き添っていたので、問題なく避難出来ました。
 男性の方々は4〜5人入浴中だった。裸のまま、すぐそばに食堂があるので、タオルケットとかバスタオル等を体に巻いて食堂のテーブルの下に潜って避難しました。
 重度の方々は、地震の怖さとか分からない状況にありましてとにかく頭を守るということで近くにあった洗濯物等で職員が頭部を保護したりしました。
 入所されている方々は車の好きな方々が多いので、土曜日・日曜日の休みはドライブ等で過ごすこともあります。当時は寒かったので、外にいることも出来ません。それで揺れが収まった時点で、中にいるのも不安だということで、マイクロバスに2台、それから公用車等を使って暖を取りながら車の中で避難をしていた。車に乗っていれば暖も取れるし利用者の方々も落ち着いて待っていられる。車というのが一つの緊急的な避難の場所になっていました。

入所施設の体育館を5か月間避難所として開放

 その後、電気も何もなかったですけれども、芋煮会とか野外で炊事をするような行事の為に使う大きなガスコンロとかガスボンベも用意していましたので、それらを使って夕食の支度が出来たということです。
 100人が三日間食べられるくらいの非常食も用意していました。その他にも大きな冷凍冷蔵庫もありますので、それらに入っている食料もありました。緊急的に食料が困ったということはありません。入所している方々の外に一般の住民の方、それから近くにある通所の施設を利用している方々合わせて約100人ぐらいが避難してきました。
 うちの方には体育館がありましてそちらの方で過ごしてもらったわけです。
 津波が来るということは想定されていました。でも、このような大きな津波が来るということは100人のうち99.9人は想定していなかった。それで一般の方々が津波で避難してくるということは我々も想像しておりませんでした。食料とか布団とか毛布とか色んなものが置く場所もなくなっていて、処分しないとならないなと思いながらも倉庫に結構持っていた。それらの物を一般の避難している方々にも使うことが出来た。これって、入所施設の強みと思っています。
 入所施設は、今もういらないんだという話も出ています。こういう災害の場合は入所者はもちろんですけども、一般の住民の方々の避難場所に十分今後もなりえるなという感覚を持ち合わせております。
 約5か月避難所として一般の方々がその体育館で生活して頂きました。食事も当初から一日三食温かいものも提供してきました。他の作業所に聞くと小さなおにぎり一日一個ということも聞きました。そういう面では私のところの施設で避難された方々は恵まれていたと考えております。
 利用者の方々が大きなパニックになることもなく本当に寒くて電気もない、色んな情報も全然ない、家族との連絡もなかなかとれないという状況で皆さん普段の時よりも静かに落ち着いて生活して頂けたなと。何かを感じていたのかなということが一番の当時の救いだったと思っています。
 ありがとうございました。
        
【引用終わり】

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 入所施設が地域の避難所として衣食住を提供することができた。被災者にとっていかにありがたい施設になり得たか。世話になった人たちにとって「明けない夜はない」と思わしめたにちがいない。
 (ケー)
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から261日目(11月26日、土曜日)。
 また、大震災発生から261日目の新しい朝を迎えた。

 第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第1分科会」(10月16日)の助言者は、大震災以前から福祉サービス不足わかっていたのだ、災害に直面してさらにその不足が目立つようになったと、次のように指摘する。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日〜16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第1分科会(10月16日) 【その11】「災害と備え」(知的障がい者の防災基盤整備)
 助言

もともとのサービス不足が問題をさらに大きくしている

 長期支援の難しさは、支援する側の問題もあります。しかし、その町村自体に災害が起きたから困ったということではなくて、災害が起きる前から色んなサービスの量は少なかった。あるいは、サービスがなかったという状況が非常に多くみられました。
 仮設住宅の問題としましては、色んな報道でなされていますが、スロープの問題とか手すりの問題。あるいは車椅子の方がいても仮設住宅の周りは全部砂利といった問題とか。特に仮設住宅の中には障がい者支援をする方が一人もいないという状況。それと買い物すら行きにくい場所に仮設住宅が出来てしまうというようなことです。そういった問題が非常に大きく今回は取り上げられた。

大震災をきっかけに秋田県障害福祉団体連合会を結成

 今回の特に支援する側、県外の方に協力が求められてきます。窓口が各団体バラバラなんです。育成会は育成会、福祉協会は福祉協会、セルプ協はセルプ協、きょうされんはきょうされんでみんなバラバラ。でも会員は20人も30人も入っているわけですよね。これは非常に不便で行政が支援に出られる職員何名おりますか?というアンケート調査しました。4月の時点で約3千人。8月の末で約8千人。でもその8千人の方々が仮申込みたいなものなんですが、申込みした人の実際動いた人数は約1割の800人くらい。
 そうすると何のために国がこういった調査をしたのかということも問題です。それとそういった問題を教訓に今回秋田では、育成会と知的障害者福祉協会とセルプ協、それからきょうされん、それから秋田県には障害福祉協会があるんですが身障も含めた団体なんですが、この障害5団体がこういった震災の時には窓口一本にしましょう。県内の災害の時の窓口も、外部から応援を頼まれた時の窓口も一本にしましょうということで秋田県障害福祉団体連合会というものを作りました。
 この10月3日にスタートしたんです。秋田県育成会の会長さんが連合会の会長で、私が事務局長という形で対応。今回色々私は歩いて教訓を得て、連合会を立ち上げたのです。今度こういった災害がもしあった場合は、連合会を活かされればいいのかなと思っております。
       
【引用終わり】

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 大震災がまた襲ってきたとしても、障害者福祉団体連合会を結成したことで、「明けない夜はない」と力をあわせて復旧に向けて取り組むことができる体制を整えた。体制整備した結果を今後どう生かすかが問われる。どんな機能を持たせるか日頃から話し合い、周知できるようにする必要がある。障害者団体の力が結集できれば、いざという時相当の支援体制をつくることができる。
 (ケー)
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から260日目(11月25日、金曜日)。
 また、大震災発生から260日目の新しい朝を迎えた。

 第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第1分科会」(10月16日)の助言者は、被災地における障がい者実態調査の難しさを次のように指摘する。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日〜16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第1分科会(10月16日) 【その10】 「災害と備え」(知的障がい者の防災基盤整備)
 助言

 司会 ○ありがとうございました。小池さんからは救援活動に携わる中で、本人の生き抜く力を常々の活動の中で育てておく必要がある。人と人とのつながりの中で生きているので社会的なつながりをより多く持って、常々の活動の中で育てていかなくてはいけないという重要な指摘がありました。
 では、助言者の皆さんも救援活動、それから被災を体験されている方もいらっしゃいます。助言という立場ではあるんですけれども、話題提供も含めてお話をください。

被災地の実態調査のため往復10時間の道のりを1か月間継続

 助言者 ○3月21日に奥州市、住田町、陸前高田、大船渡の実態調査あるいは色んな資料をもとめながら行政網から見て歩きました。
 24日に岩手県社協と連絡を取り合った後、今度27日はまだ寒い雪が降る中で寝泊りする場所もなく、道の駅で寝袋で寝ながらの実態調査でした。久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉、宮古、山田、大槌町、釜石、遠野。30日までかかっておおまかな避難所にどういった障害を持った方がどういう生活をしているのかという情報収集をしに回った。30日が終わってから宮古市の駅前のまちなか交流センター、そこも被災したところなんですが、その2階を借りて支援の拠点センターにしました。
 そこに各県の支援をする方々がおりまして、順次、各町村の実態を把握しました。今回は非常に安否確認とかニーズ把握の難しさ、長期にわたる支援ですので支援する側の施設、あるいは職員の体力も色んな面で限界が来るんです。ストレスもかかえて。中にはうちの職員で1日で逃げ帰ってきた人もいます。まだ余震が続いておった時ですので。うちの職員だけではこれは対応できないなということで、4月の中旬から秋田県内の各会員の施設の方からもご協力頂きました。私も4月の中旬過ぎまで、寝泊りしたこともあったんですがほぼ通いだったんです。施設の方の色んな計画もあったものですから、片道4〜5時間。往復10時間です。朝早く来て日中支援活動を行って夜中に帰るという日々を1カ月以上続けました。

障がい者はうちの方には一人もおりません

 そのせいで腰も痛くなって今病院通いしています。それほど支援する側も疲れてくる状況の中で感じたところは、安否確認の難しさというのは各町村によって、個人情報の問題もありました。障がい者はうちの方には一人もおりません、と言う福祉担当課の職員もおられました。それで実際避難所に行ってみると、二重身体あるいは精神知的の方々が27名おって役場の職員さんとか看護師さん達がきちんと支援していた。でも福祉担当課はうちの町には障がい者は一人もおりませんと答える。このような実態もありました。
 その個人情報についても一切出さないところもあれば、すぐ名簿ごと提供してくれるところもあれば様々です。なのでその辺の問題もかなり大きかったのかなと。
 障害を持った方々がどこにいるかいないかというのを、足で歩いて確認するしかないんです。資料があってもその方々が避難所にいればいいんですが、まだ自宅に残っていたりあるいはすでに親戚の方に避難していたり県外に行ったり様々です。足で歩いて実態把握するしかないということです。
 それからニーズの把握の難しさというのは、東北人は特にそうなんですが、我慢するんです。何も言わないんです、苦しいということを。我慢している部分ともう諦めている部分とが、そういうところが外部の私達は、県外の者が行ったりしてもなかなかすんなり答えてくれないのでニーズの把握が非常に難しい。
      
【引用終わり】

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 被災地における支援者の身を粉にしての働きは、被災者を勇気づけ「明けない夜はない」と示すきっかけになる。
 (ケー)
障がい者週間(12/3〜12/9)記念

第11回 まちかどコンサート

ケーキ作り実演・障がい福祉事業所バザー

ところ:霞城セントラル 1F アトリウム
と き:平成23年12月 4日(日曜日)

日 程
10:30〜 バザーオープン
11:00〜 マジックショーMr.はてな

11:30〜 ハーモニィ
皆でトーンチャイムの素晴らしい音色をおとどけします

11:40〜 ぶどうの家
音楽療法士の指導の下、練習しています。
精いっぱい頑張ります
きゅうけい
12:50〜ほっとフレンズ
結成10年になる精神障がい者たちで組んだバンドです

13:20〜山形ハーモニカ愛好会
日本の歌など懐かしの名曲を楽しんでいます

13:40〜石井房子・土屋誠子
中途視覚障がい者2名初舞台、がんばります

13:50〜南沼原女声合唱団「槻の木」
明るい家庭、住みよい町、平和な社会を願って歌います

14:20〜山形心体表現の会
障がい有無、年齢、国籍、そんなの関係ないんじゃない
ハッピーなダンスパフォーマンスグループです
自分のままで、感じるままに

14:40〜ケーキ作り実演(十一屋)
15:00 コンサート・バザー終了


主催:山形市福祉のまちづくり活動委員会
後援:山形新聞・山形放送

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