Photo Gallery

お隣の宮城県育成会のようすですが、地震から20日も過ぎましたが、まだ連絡の取れない支部の事務局があるそうです。
ですので、会員さんの安否の確認もなかなか取れない状況になっているようです。

山形はガソリン不足もようやく解消してきたようですが、宮城県はまだまだガソリン不足はつづいているそうで、支部の様子を見に行くこともできないとのことでした。

仙台市内もライフラインがだいぶ復旧してきたといわれておりますが、事務局で仕事をしている彼女は、あの地震の日以来いまだにお風呂にも入っていない状態だそうで、山形とは本当に状況が違っています。
それでも、避難所にいる方々に比べたら自分は幸せだと言っておりました。

会員さんたちも家が流されたり倒壊したりしている方も多く、被害が少なかった会員さんのお宅に家族ごとお世話になっている方もいらっしゃるそうです。

これから何をどうしていくのかが自分の仕事だと思っているから相談に乗ってね。との事でしたが、経験のない私の方こそ教えていただくことが沢山あると思います。

今後、山形県でも災害時の対策や備えなどマニュアルを作ることも必要になってくると思いますので、宮城県さんにも相談に乗っていただきながら作って行こうと思いました。(F)
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から21日目(3月31日、木曜日)。
 また、大震災発生から21日目の新しい朝を迎えた。

薄ぼんやりした天気

 山形市内の朝の天気は雨模様。うすグレイに全体がおおわれ、蔵王の山々もぼおーとかすんでいる。低くたれこめた雲があちこちを隠し、山肌には筋状の白ぽい雪が見える。薄ぼんやりしたはっきりしない風景である。

スタンドの店員も手持ちぶさた

 ガソリンスタンドには給油待ちの車が全然なくなった。灯油購入の列も見当たらない。
 あれほどの列ができていたのにと思う。
 それにしても、今日などはスタンドで給油している車が一台もないのには驚く。
 どの車も満タンにしたので給油する必要がなくなったのだろう。
 スタンドの店員も手持ちぶさたにしているのが印象的。

大きな転機

 親戚の甥っ子も大変な状況だ。
 仙台の港近くに会社があった。それが、会社の建物ごと一切合切津波で持っていかれた。
 彼も命からがらだったという。なんとか一命は取り留めることができた。
 同じ会社の仲間二人が亡くなった。それも、自転車で自宅へ戻る時に、津波にのみ込まれたというのだ。
 彼の購入して1年しかなっていない車も津波でさらわれ、使い物ならない状態になった。無残な姿を写真で見た。
 彼の会社は、仙台で再建しないことになった。
 今、会社を退職するか、転任するか決断をせまられている。
 本社が中部地方にあって、転任先はそっちになる。単身赴任を覚悟せざるを得ない。
 今は夫婦共働きで妻の方の会社の被害は最小限だった。
 人生設計がすべて変わってしまっている。
 彼は、転任のない会社として今の会社を選んで、とても満足していた。
 それが、今回の震災で考えもしない方向になってしまった。
 家も建てたいと希望していた。
 その実現も困難な状況になった。
 今勤務している会社は、食品関係の会社。原発の問題が長引けば、東北地方というだけで、食品の扱いもかなり難しくなるという判断も、会社側にはあるのだろう。

 そのため、仙台の営業所を引き払うことになった。
 今後、東北に営業所をつくる見込みがあるのかないのか。
 東北に戻るのは、いつになるかちょっとわからない。
 大きな転機になってしまった。  
 
 それでも、「明けない夜はない」。新たな地で新たな活躍を期待するのみ。彼ならできる。彼ならやるはず。 
少し情報が遅くなってしまいました。

今回は「つなぐ」プロジェクトのご紹介をします。

これも山形にもおいでいただいたことがある大阪府の「寝屋川市民たすけあいの会」の富田昌吾さんの活動です。

山形県からは、向陽園さんと、はとぽっぽ倶楽部さんが賛同して協力スタッフとして被災地へ物資を届けにいってくださったようです。

はとぽっぽ通信にも載っていましたが、ブログ掲載の承諾を取っていませんので詳しくは書けませんが、どこの障害者施設を訪ねていっても、職員の方々は自分のことよりまず利用者さんの命、健康状態、精神状態を心配し、守る方たちだったとの事でした。(F)
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から20日目(3月30日、水曜日)。
 また、大震災発生から20日目の新しい朝を迎えた。

うす白色の空模様

 山形市内の天気はくもり。雨も降る予報。朝の寒さも結構こたえる。
 うす白色の空模様で、周りの山々も見えない。ただ、なんか変に赤みがかったお日様がぽかっと浮かんでいる感じ。
 本日は自転車通勤やめた。
 三日坊主ならぬ一日限りとなってしまった。天気のいい時に自転車を使えばいい。
 ガソリンスタンド前も並んでいる車がなくなった。給油中の車がふだんより多いのは確か。通勤時間時間帯に給油している車は震災以前にはそんなになかった。
 コンビニの駐車場に「おにぎり100円」ののぼり旗も立っていた。

仙台から二人営業担当者が来訪

 昨日は、震災以来初めて仙台から二人営業担当者が山形県育成会事務局に訪ねてきた。
 ガソリンをようやく確保することができたと言っていた。
 山形に比べて、仙台はガソリン確保はまだまだ厳しいという。
 地震がきた瞬間、「予想通りの宮城沖地震がきたんだ。それにしても、長い、長すぎる、ビルが崩壊するんじゃないか」と心配になったという。
 石巻で被災にあい家が流された妻の実家の家族と、今一緒に暮らしているという。
 会社の同僚にも原発近くから通勤していた社員もいて、今別の場所で避難生活している。
 また、親戚にも行方不明のままの人がいて心配だと言っていた。
 被災地に足を踏み入れてきたが、今まで見たことのない光景が続いてやりきれなくなったそうだ。
 戦災にあった感じと表現していた。
 被災地でも被害を直接的に被った地域と、山手側で被害にあわなかった地域がある所は、微妙な温度差が生じているらしい。
 これからどうすべきかといった防災に対する問題意識の真剣さにずれが見えるというのだ。
 仙台市内でも、大被害にあった人たちと、被害がほとんどない人もいて、リアルに物事をとらえることなく、バーチャルなとらえ方しかできず、今さえよければいいと考えている人もいるといった感想を述べていた。
 そして、復旧のために他地域からいろんな応援が入っているため、ホテル、旅館は満杯状態が続いている。

原発危機は継続中

 原発危機は継続中といった話題にもなった。
 福島第一原発の心配はみな共通。難題が次々に生じている。原子炉を冷却するために水に入れ続けると、あふれた水と共に放射線物質の漏えいが問題になる。
 冷却水を入れなければ、原子炉を制御できない。
 循環できる装置をつくるにも、放射能濃度が高くて作業ができない。
 あらゆる知恵を結集するしかない。その中で、最善の方策を直ちに実行してほしい。
 きっと世の中には解決を図ることが出来る知恵のある人がいるはず。日本にいなければ、海外に協力を求めるしかない。

 それでも「明けない夜はない」。努力し続ける人がいる限り。 
 
 山形県鶴岡市「庄内子ども支援チーム」の活動報告書がFAXで届く。
 報告書全文を次のとおり引用。
 生々しい現地報告である。
 極限状況における人間の我欲と優しさが表裏一体で表現されている。
 それにしても、支援チームの努力に頭がさがる。フットワークの良さとネットワークの広さとスピーディーな行動力。今までの経験を生かしている。この持続力。

**********************************************************

【引用始め】

2011.3.24
東日本大震災  庄内子ども支援チーム活動報告書


 たくさんの物資、たくさんの義援金をお寄せくださいましてありがとうございました。
第1便・車3台分(キャラバン)の物資を3月20日(日)宮城県石巻の各避難所に届けてきましたので報告させていただきます

 寄せられた物資は
 衣類・子ども服・新生児用品・靴・タオル・バスタオル・毛布・タオルケット・靴下・下着・絵本・離乳食・おむつ・お尻ふき・歯ブラシ・髭剃り・石けん・洗剤・シャンプー・生理用品・ティッシュペーパー・文房具・おもちゃ・お菓子・お米・簡易ガスコンロ・ガスボンベ・食品各種等々約500品目にわたりました。
 バタバタと短時間の呼びかけにもかかわらず、驚く程の数の物資と義援金が寄せられました。
 ありがとうございます。
 18日、19日に寄せられた物資に、日ごろからストックしておいた新品の子どもニットズボン300枚、鶴岡市内の靴店が閉店する時にお預かりしていたスニーカー150足ほど、日常的にご近所の皆様から、“おからや”に寄せられている使用済みのタオルで作った雑巾(おからやのメンバーがミシンをかけて作ってあります)等、湯飲み茶碗、急須、お茶などをプラスして、チーム7人が石巻に入りました。

?≪自己責任≫

 当然の事ながら活動は自己責任で。自分の3食は自分たちで用意ということで、おにぎりを何十個も握ってきてくれた人、全員分の濡れタオルを用意してくれた人、お茶、水を用意してくれた人等々。阪神・中越での活動経験が活かされ、さすがです。緊急通行車両の登録をして、帰りのガソリンも確保。ボランティア保険に入り、ひょっとして車中泊?の覚悟でシュラーフ(寝袋)も用意。みなさんからの“熱い想い”を満載で、少々タイヤが心配されましたが、いいお天気に恵まれ幸先よく出発。

?≪えーっ?代搔きが始まった?≫

 前々日の先発調査隊が入った時とちがい、自衛隊が入って整備が始まっていたので、道路はとても通行し易くなっていました。途中田圃に水が入っていたので『わあー、早い、代搔き始まったなだのおー!』と、思わず声をあげたら、押し寄せた水が田圃から引いていなかったの。でした。そして田圃の中に大きな船がそびえたっているのを目の当りにし、津波現場を実感。

?≪石巻湊地区から配布開始≫

 大きな避難所には、自衛隊や公的物資がドーンと届いているが、人手が足りなくて荷解きも出来ていない状況。大きな避難所の人達が少人数で避難している場所や、物資が行き届いていない場所などを丁寧に教えてくれる。また、避難所に入らないで壊れた自宅に戻っている人や車中暮らしをしている人などの情報も。情報をもとに一軒ずつこまめに回って、必要な物を置いてくる。途中フリーマーケットのように物資を並べて『よだもの、どれでもどうぞー!』と。中には、浅ましいというような持って行き方の人もいましたが、それぞれに譲り合って『もっと先の方さ行くと、必要な人達がいるから、持って行ってくれ』と。ほっとする瞬間です。

?≪毛布は、ダブツキ状態≫

 テレビなどでは、毛布が足りない!寒い!という状況が繰り返しながされていましたが、20日朝出発時点で既に『毛布はダブツキ!!』という現地からの情報が入っていましたので急遽、積み込んだ毛布をすべて降ろし、他の物資を詰め込みもした。ちょっとの隙間ももったいなく積めるだけ詰め込もうと小さいものを押し込んで。毛布は次の状況をみながら、また届けます。本当は、まだ行き渡っていない所があるのでしょうけど。

?≪お寺の門前で≫

 お寺や神社で避難している人達もいました。避難者に対する対応の仕方には、温度差があり、信じられないような対応のお寺がありました。あるお寺は、山門を開けず、中には入れない。寺の門前にある保育所だけ開放。さまざまな考えがあってのことと思われますが、避難しているお母さんの話が胸に刺さった。3歳と1歳の子どもを連れて逃げ回っている途中、1歳の子どもが死んでしまった。簡単な供養でもいいから、お経をあげて欲しいとお願いしたが、断られたと。お寺の名前も場所も把握して来たのですが、公表は差し控えます。
 この避難所では、おむつ、ウェットティッシュ、下着が喜ばれました。
 火葬場が手いっぱいで、土葬に切り替えている自治体が増えてきているそうです。

?≪道端で≫

 なんとも表現しようのない臭いが漂っています。衝撃的な光景と臭いが続きます。
 私たちが入る前々日まで、車で通る道路の両側には、収容されていないご遺体が見られたと。
 また、引き波の時にガードレールに引っかかっていたご遺体も多数だったと。私たちが入った時には、道路の整備と共に収容されていましたが、まだ瓦礫の下には収容されていないご遺体が、多数あると伺いました。道路際や町の中、田圃や住宅地など、水が引いてなく溜まっている所では、一瞬『あっ!魚がいる!』と声をあげてしまうような光景に出くわします。津波で打ち上げられ、そのまま海に帰れなくなった魚たちが、浮いているのです。支援物資と共に積んできた帰りのガソリン、経由の臭いが車内に充満し、その臭いに酔っているのに、強烈な違う臭いが重なり、クラクラするのですが、街の真ん中に乗り上げている船や、ボンネットを下に逆さまになっている車車車を見ると「こうしていられない!」と現実に戻されるのです。

?≪中越地震の時とのちがい≫

 今回のチームの構成は、阪神の震災で神戸へ物資を運んだ経験のある人、中越地震で何度も小千谷の避難所へ支援に行った人が何人か入っているのですが、口々に『あまりにも広範囲で、大変だあー!』と言います。でも、小千谷の時のように今回も、避難所が閉鎖されるまで、何度でも入るという目標で活動!!を申し合わせました。
 ちょっと気になる体制の避難所がありました。いわゆる“えらーい人”がデーンと幅をきかせているので、若い人達の動きが非常に鈍く支援が滞っている。えらい人たちの顔色を伺いながら、遠慮しながらなので、全体の雰囲気がヒジョオーに悪い。勉強になりました、と。

?≪必要な物資が日々かわってきます≫

 断然おむつが足りません。水が出ないのでお尻を拭くものが足りません。生理用品が足りません。下着、靴下が足りません。電池、ガスボンベ、が足りません。歯ブラシは、ホテルや旅館のアメニティグッズでもかまいません。生鮮食品が恋しいです。などなど。

 次は、3月25日に入ります。
※日曜、祭日を除く毎日「手づくりクッキー おからや」前で物資を受け付けています。
※直接被災地へ物資を送れないので、「子ども支援チーム」経由で届けてほしいという東京など遠方からの物資がたくさん届いています。仕分け作業ボランティアさんも募集中です。
 お手伝いいただける方は電話090-1377-7036 担当和田まで
 鶴岡信用金庫本店後ろ、川端 「川端・おからや」でやっています。

?≪子どもたちは≫

 山手の方に行くと、子どもがまったくいない避難所があります。気になってきいてみると『この辺はもともと高齢者しか住んでいないなだあ。』子どもが波にさらわれたのじゃないことをしり一安心。他の避難所にいる子どもたちも、まだ思いっ切り遊ぶ気分ではないらしく、とても静かでした。恐怖、悲しみ、不安のまっただ中にいる子どもたちの心の中は、どんなふうなのか。これからどうなっていくのか。ただただ無力さを感じました。それでも、絵本、おもちゃ、ゲーム、ぬいぐるみなどを各所に置いてきました。必ず手にとる日がくることを願って。次回は、もっとたくさんの下着、靴下を持っていかないと。
 鶴岡市道形町郵便局の局長さんは、ミニ毛布、ポケットティッシュ、鉛筆、ノートなどの文房具をたくさん届けてくれました。新しい鉛筆をすぐ削れるようにと、小型の鉛筆削りを買い求めて添えてくれました。『すぐに使えるように、必要だと思って買ってきました』とおっしゃっていました。寄せられた物資を仕分けしていると、持って来られた方々の、込めた想いや心配りが伝わってきます。本当にありがたいことだと、仕分けしながら感動しています。

?≪すくわれました≫

 壊れた自宅にもどり避難している初老の男性の所へ行ったとき、どこから来たか?とたずねられました。「庄内から来ました」と言いましたら『おー、庄内美人かあ!』と言われました。「庄内美人ではねーどものー」と返しながら、しばしお互いに笑いあいました。しっかりと「よし!!心美人でいこうっと!!」気合を入れて活動!活動!

?≪満潮に送られて≫

 石巻に入る時は乾いていた道路が水浸しになり、車の後ろから「ひたひた」と水かさがましていくなんとも不気味な感覚の満潮に送られて帰路につきました。
 3台の車を空っぽにして、無事に鶴岡に戻ったのは、21日(月)午前0時30分でした。
 お疲れさまでした。次は25日に入ります。

感謝 車提供 株式会社 松岡
       特定非営利活動法人 いなほの会 いなほ作業所
       鶴岡工業高校教諭  佐藤有一先生

庄内こども支援チーム  第1便
 小池 章弘  いなほ作業所 所長    石井 順   大山保育園 栄養士
 加藤 智   株式会社 松岡 社員   和田 勝良  おからや  職員
 庄司小夜子  郵便局会社 社員     石井 清則  チャイルドラインつるおか
 佐藤 有一  鶴岡工業高校教諭

ひとくちメモ
 ○ ホテルや旅館で出してくれる、歯ブラシや櫛等のアメニティグッズも日ごろから捨てないでとっておくと、結構役立ちます。
 ○ 現地になかなか情報が伝わりません。11日以降の新聞が欲しいです。日付順にまとめてもってきていただけると、より助かります。

庄内子ども支援チーム事務局
〒997-0037 鶴岡市若葉町15-5 電話・FAX0235-25-3460

【引用終わり】

********************************************************

 「庄内子ども支援チーム」はこれからも支援物資を届ける活動を継続するとのこと。
 避難所がなくなるまで。
 惜しみない協力をお願いします。
 ようやく、宅急便が山形県内は通常どおり届けてくれるようになっています。
 (ケー)


メーリングリストからの情報です。
自由に転載・転送・引用・拡散してよいそうですのでUPします。

*************************************************

・(厚生労働省)
要援護障害者等の避難所等への搬送について
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000015vnu-img/2r98520000016bck.pdf

・(厚生労働省)
東北地方太平洋沖地震及び長野県北部の地震により被災した障害者等に対する
支給決定等について
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000015vli-img/2r985200000165ss.pdf

・(厚生労働省)
東北地方太平洋沖地震等に伴う障害者(児)への相談支援の実施等について
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000015vli-img/2r985200000165tc.pdf

**************************************************

・20110329(朝日新聞)
知的障害の子ら200人、避難先転々 職員「もう限界」
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103280096.html

・20110326(47news)
避難所に響くピアノ自閉症生徒「僕弾けます」
http://www.47news.jp/movie/general_national/post_2920/

・20110326(時事通信)
避難所行けず、食料も薬もない…=自閉症の子持つ家庭孤立−東日本大震災
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032600198

・20110325(毎日新聞)
東日本大震災:遊び満喫、障害児笑顔 デイサービス、代表の自宅で再開 /宮城
http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20110325ddlk04040090000c.html

・20110325(朝日新聞)
自閉症・発達障害の人を案じる (投書)
http://bit.ly/gpPHkn

・20110325(中日新聞)
知的障害者ら受け入れ 宮田の県施設へ福島から80人集団避難
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20110325/CK2011032502000124.html

・20110325(大分合同新聞)
知的障害者ら製造 非常食を被災者へ
http://bit.ly/fKIwpS

・20110324(北海道新聞)
高齢者、障害者の受け入れ 2414人分 道が施設を確保
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/280600.html

**************************************************
障害者に関係あるものを抜き出してみました。
山形県にもおいでいただいたことがある「ふくいん」の本田さんの所も全員で避難している事がわかり、なんともいえない気持ちになりました・・・

携帯でブログをご覧になっていらっしゃる方は、もしかしたらみる事が出来ないかもしれません。
申し訳ありません。
パソコンがインターネットに繋がる環境にある方はどうぞご利用ください(F)


平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から19日目(3月29日、火曜日)。
 また、大震災発生から19日目の新しい朝を迎えた。

西はずれの自宅より自転車通勤

 自宅より山形県手をつなぐ育成会事務局まで自転車で行くことにする。
 距離にして7キロの道のりになる。ふだんより30分早く出発。
 私としては初めての試み。
 山形市の西はずれに位置する自宅からずっとゆるい上りが続く。
 山形市の地形は宮城県境に位置する蔵王山からずっと西方向に扇状地として拡がった盆地である。自宅は扇状地でも扇端部に位置している。
 その西はずれから育成会事務局のある東方向に自転車を走らせることになる。
 娘が高校時代に使っていた自転車である。
 何年にもわたって放置されていたので、タイヤに空気を詰め直して走らせるのだが、こぐたびにぎしぎしと音が出る。

 途中、小学生たちの集団登校にであう。また、中学生たちも多い。
 本日は登校日らしい。
 学校は春休みにはいっているはずだから、今日は3月29日(火)年度末なので、多分離任式(教職員人事異動に伴う転退職者とのお別れの式)があるのだろう。

 ガソリンスタンドの給油待ちの車が極端に減った。10数台いるかいないかになった。
 報道によれば、通常の8割ぐらいまで油量が確保できるようになったらしい。
 今までずっと売切れの看板を出していたスタンドも開店している。
 ほとんど待たずにガソリンを詰めることができている。

寒さ対策も万全にして

 自転車通勤ということで、寒さ対策をしてきた。
 ジャージの上にスキーウェアを着用。皮手袋の下には薄手の毛糸の手袋もはめた。
 途中、体がぽかぽかしてきた。
 上着のウェアのボタンをはずし、手袋もとっての自転車こぎである。
 息もきれてきた。
 自転車と何台もすれ違う。高校生たちはどんどん追い抜いてゆく。若い女性たちからも追い抜かれる。
 自転車の性能の差か、それとも体力の差か。
 娘が通っていた高校の前を通り過ぎる。40分が経過した。

 ようやく、育成会事務局のあるビルに到着。駐輪場が特別準備されていないので、裏の出口に自転車を置く。
 ここまで、50分の時間を要した。予想では1時間はかかると思っていたが。
 階段を上る足どりはふらふら。
 明日からはやはり車かなあとふと考える。

 「明けない夜はない」と言いながら、多少の協力しかしてないなあとあらためて思ってしまう。
 (ケー)
  
偶然みつけたブログです。
被災地へ医療スタッフとして入り、活動した看護師さんのものです。
悲惨な現実がそこにありました。



私は、涙なしには読めませんでした・・・

**************************************************
連絡
※全日本育成会のHPが更新され、義援金の口座・各地からの情報・このブログでも(ひとつ前の記事)紹介しましたが、又村あおいさんの特設サイトも掲載してあるようです。
今回の災害情報専用のメールアドレスなどもありますので、何か情報などがありましたらよろしくお願いします。
全日本育成会のHPは、ブックマークの所にあります。(F)
全日本育成会の機関誌「手をつなぐ」の編集員をしていらっしゃる平塚市の又村あおいさんが、厚生労働省の通達などをまとめてくださったサイトがります。
被災地に行かれる方がおりましたら、是非ダウンロードをしてお持ちください。
避難所に行けず、自宅で避難している方などがいらしたら情報をとどけていただけるとありがたいです。

←クリック

こちらは、全日本育成会の理事で、ご存知の方も多いと思いますが、社会福祉法人むそうの理事長の戸枝さんのブログです。
地震後、いち早く現地へ支援物資を届けられています。
各地を回り、被災地のレポートなどもこまかくされています。

←クリック

今、メーリングリストでの話題は、障害児・者を含む「災害時要援護者」の事です。
山形県内でも、この前の地震の時は避難指示が出されたところもありましたが、障害をもつ方がいらっしゃるご家族は、「避難所へ行っても、皆さんに迷惑をかけてしまうことは分かり切っているので、避難所へ行こうとは思わなかった」とおっしゃる方が多かったです。
私の家族もその一人です。

←クリック
避難所へいく事も出来ずに、半壊した自宅や車で生活している人もきっといると思いますし、新潟県の中越地震の時はほんとにそのような生活をしていた障害者家族は多かったそうです。

明星大学の吉川かおり先生の情報によりますと、自治体によっては、防災計画の中で「高齢者・乳幼児づれの人・障害者」むけの特別な配慮を用意する、別室を設ける・・・など記載しているところもあるそうですので、この機会に、ご自分の居住地の防災計画を確認しておくことも、いざという時のために良いかもしれません。

また、実際に現地へ行くことが出来ない方も多いと思います。
新潟市では、ご自分の施設で行っている「日中一時支援」で新潟市に避難されている知的障害者を日中だけお預かりする。ということも始めている所も出てきています。

みなさん自分に出来る事は何かを考えて支援して下さっているようです。
全日本育成会を通してこのような方々とつながっていると思うと本当にありがたいと思います。(F)
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から18日目(3月28日、月曜日)。
 また、大震災発生から18日目の新しい朝を迎えた。

土手から眺める風景

 相変わらず寒い朝だ。雪はない。晴れた。
 外に出て、近くの須川べりに向かった。
 雪はほとんど消えているが、まだ日陰に雪が残る。
 小鳥のさえずりが聞こえてくる。からすの鳴き声がそれに時々混じる。
 朝日に輝いて晴れわたった空が拡がる。
 川辺の土手に上がると東方向に黒っぽく蔵王の峰々が浮かぶ。ただ、山頂付近は雲でかくれている。
 河川敷は排雪場になっていたので、砂利まじりの雪が小高く固まっている。これがすべてとけるのは4月半ば過ぎになるだろう。
 須川の堤防は一昨年あらたな堤防強化をしたばかりだ。30センチ以上堤防を厚くする工事だった。その上に植栽された。
 山形市内の西部地区に住むようになって30年近くなるが、自宅に水が上がってくるのでないかと心配したことが3〜4回ある。
 幸いにもそうしたことは今までなかった。
 しかし、昔はよく洪水に見舞われることがあったというのだ。
 確かに、自宅を構えてから、近くの木造の橋が流されて、新たに200メートル先の下流にコンクリート製の頑丈な橋が架けられた。
 以前よりはずっと堤防がかさ上げされ、支流から水のコントロールのために水門もいくつか設置された。
 そのおかげで、以前のような洪水の心配する必要がなくなったことは確かだ。
 しかし、河川敷にある高等学校の野球場やサッカー場は、3・4年前水が上がって被害を受けている。

 遠くの橋を渡る車が何台も行き交っている。
 月曜日の朝、勤務に向かう人たちか。
 山形市内はあまり今までとかわりない日常を少しずつ取り戻しているのかもしれない。
 
 高圧線を支える鉄塔もどっしりと構えている。
 今までじっくりながめることもなく、気にかけることもなかったが、電気を順調に送るのに大切な役割を担っているのだと、つくづく思う。

水入りペットボトルを運ぶ少年

 歯を食いしばって、両手に水を満杯に入れたペットボトルを運んでいる少年の写真をみた。
 「被災地の赤ちゃん・子供の画像まとめ−東北地方太平洋沖・・・」
  http://matome.naver.jp/odai/2130032245150589401/2130103775058450903
 がれきの中を、うつむきかげんで、厚手のジャンパーを身につけて。
 どこに運ぶのだろう、母親の元か。
 家族は無事だったのだろうか。
 厚手のズボンはいて、耳まで髪を伸ばした少年である。
 寒そうな中を、白い長くつをはいて、がれきを踏みしめて一歩ずつ進んでいる姿がクリアに写し出されている。
 この写真を見て、勝手な想像や物語を語るのはよそう。
 今この瞬間、こうして誰かのために水を運ぶ少年がいるということだ。
 がれきや、寒さに立ち向かっている少年がこの瞬間に生きている。
 この少年も自分のやるべきことを黙々とやっている。
          
 「明けない夜はない」

WHAT'S NEW?